この「授受」と言う言葉は中国語ですね。日本語で伝授と言う言葉はかなり近いです。太極門に入門する時は流派によって教訓が有ったり、誓いが有ったり、近頃では各流派も近代化が進み、かなりの略式で行われています。でも、現在でも流派によって、師門お背いた場合が「天打雷劈」と誓う流派があります。当派では最低限度ですが、武力で弱い人に向けないことお新弟子にお願いすることはしておりますね。でも、本当は当派や楊式太極拳などでは人様に太極拳を教える立場の者になるには以下の勉強をします。
夫人之性情,各有不同。大抵可分为?姶种,曰刚与柔是也。刚性急而烈。上者为强,下着为暴。强者喜争,故其学拳时多务于刚,以其性喜争强斗胜,不屈人下也。柔者性和而顺。上者心气中和而笃敬,故其学拳时,多务于柔,以其性喜和平多涵养也。暴者,性燥而鲁莽,故其学拳时,专务于猛,而无精细之趣。柔之下者,性柔而弱,意志不强,少进取心,故其学拳时不求甚解。然武人贵志刚而性柔。有智、有仁、有勇,方为刚柔相济。如此乃能进修业矣。
上述性别,关乎学者之本性,应注意之。学者以性情之不同,而所得结果亦?尺。间尝穷观,学太?巽拳者,虽同一师承,而其拳之姿势,与理论之解释各?尺。因而遗下多少窦疑及误会。
凡此盖亦教授者因其人之性情而授受之耳。所谓差之毫厘,谬以千里。故特表而出之,以解释群疑,而资参考焉。
これをまた、私なりに訳してみます。
一般的に人間の性格はそれぞれ違います。でも、人間は大体、二種類で分けられます。つまり剛強タイプの人の柔和タイプの人です。剛強な人はせかちで猛烈であります。その中には一種類は強い人間でもう一種類は乱暴な人間です。強い人間は人と争うことが好きで拳法を学ぶ際は剛列なものを好みます。乱暴な人間は性格が荒く、拳法を学ぶ時は猛烈さが余り、細かい動きが出来ません。柔和タイプの人間も二種類あります。一種類はばんランスがよく偏らず謙遜な者です。その方々は柔らかい拳法を好み、普段も極めて紳士的です。もう一種類は性格が弱くて意思も強くないし、向上心もなく学びごとにはしっかりと研究しないです。当然、武道を学ぶ者で貴重なのは意思が堅さと性格の軟らかさを兼ねることと、仁義あり勇気ありきことです。このような方々は剛と柔を兼ね、将来的は更なる徳に預かり、素晴らしい業績を得られます。
上述の性格では学ぶ人間の大体の本性であり、教える人間は気を付けるべきです。学ぶ者の性格の相違で得た結果も様々です。この世を見渡す限り、太極拳を学ぶものは同じ師匠の元でも太極拳の姿勢や理論がそれぞれ違います。そして、後の世にはどれほどの疑いや誤解を残してしまうのでしょうか。
以上の様々なケースですが、教える者はそれぞれの人の性格によって違う教え方にすべきです。
教える側が僅かでもずれていったら、学ぶ側はもっと大きく外れてしまいますね。ここで特に言及して多くの教える立場の者の疑問に答え、参考になれば幸いです。
皆様、いかがでしたか。自分は幼少期から師馬岳梁よりこのようなことを教わりましたが、10数年前から日本で数人の個人レッスンをはじめた頃からこの宋遠橋十七世の「授受論」を読み始めたのですが、現在も当然のように復習していますね。先般、初弟子に恵まれ、上海呉式太極拳の家に訪ねたところでは師馬江麟が「授受論」に付いて尋ねられました。これは実に道教継承の太極拳の家元ならではの光景ですね。本当は一般的に公開しませんが、師呉公藻の著作で「太極拳講義」にもこの「授受論」を言及しており、特に秘密らしい秘密でもありません。首都圏で太極拳を教えている先生方はおよそ四千人程いると伺ったのですが、ご参考になれば幸いです。
ちなみに現在、私の研究会に通っている方々でプロ、一般を問わず、殆どの者が意思が堅さと性格の軟らかさを兼ねています。何と言う大きな恵みでしょう。