旧 太極拳よもやま話 未分類

福寿膏の連想

2013年9月30日

 福寿膏は阿片のことです。これは1920年代から中国大地でかなり吸われていましたが、本日の写真もその時代の物です。当時の私の家族からもう一つの太極拳家族まで何人もこの阿片で若くて亡くなっていきました。六月の初頭に亡くなった陳克夫先生と香港で戦っていた伯父に当たる呉公儀も長い間この麻薬に体を蝕まれ、70歳で返らぬ人となりました。師英華の話しによると楊式太極拳の大先生との付き合いで吸ってしまったようです。他に例えば、南拳王の鉄橋三も阿片に身を任せていたとか・・・。実に色々な人が麻薬に手を染めていました。
 と言っても、何故、本日がこのような太極拳修練とあまり関係ない話題を選んだかということになりますが、そもそも、私は体育性豊かな中国競技種目が伝統種目から離れているとか、スポーツにすぎないとか・・・。結果的に中国文化革命で人生や家族が滅茶苦茶させられてきた自分を含むこの沈家という旧上海の四大家族の一つですが、共産中国の元で文化遺産を勝手に改ざんして作り上げた競技種目に対して好感を持つわけがないです。でも、伝統功夫を振り替えてみると競技種目よりも悲惨な長い歴史を辿ってきていることが日本人の皆様は中々存じるきっかけがないでしょう。「四方山」の場で少し触れておきたいです。
 最近、中国人の武道家との交流でその方が小学校にしか卒業していないことがわかりました。自分としてはきっとも驚きません。中国という国で本格的な義務教育が始まったのがおよそ1985年頃の話になります。中国近代史を見てみると清朝の時代は「私塾」という教育機関で義務教育の代わりに子供達に中国語の古文や算盤による算数が勉強出来ますが、数学や物理、化学などの勉強はなかなか中国大地では珍しい位のものでした。あの大国で当時は大学が本当に数え切れる位のものでした。中国が形上、封建社会が終了したのが辛亥革命になっていますが、長い間の先進国との交流の無さと第一次世界大戦、第二次世界大戦で義務教育自体が世界の中でもかなり遅れていた国です。都会での生活と内陸とはまるきり違い、広い土地で多くの人種が住む国では何事もまとめるにが難しいです。
 第二次世界大戦終了後も中国は3年間の内戦に陥り、義務教育も当然のようにままならぬ様でしたね。人民中国になってすべてが変わるではないかと思った当時の海外の愛国華僑達は海外のすべての財産を転売して帰国したのですが、人民中国の運営もなかなか上手くいかないものでした。1950年代の三年間の前代未聞の大災害から、1966年からの10年間の文化革命迄、どれも義務教育にとっては致命傷ですね。中国が日本や諸先進国みたいに受験戦争が流行り始めたのがおよそ1985年でした。それ以降に生まれた方は恐らくこの私とあまり共通の話題が少ないことは当然であり、私も現在、中国へ帰国とまるで外国へでも行ったような感覚でかなり戸惑うことが多いです。
 自分は中国の伝統功夫の家元の一人で呉式太極拳に関しては今日に至る迄ざっくばらんに本音を申し上げてきたのですが、様々な功夫が実に退化してきたことや多くの伝統文化的功夫が失ったことは事実ですし、これは中国という国が長い間に一環とした義務教育がなされていないこともかなり絡んでいるはずです。例えば、内陸の農村で継承されてきた文化財的功夫ですが、口移しで伝授し個人の記憶で次世代へ移る際は、きっと色々なひずみも生じているはずです。
近頃、太極拳の各流派の交流(中国)では、基本拳の型崩れが非常に目立っており、心配の声が相次ぐ中、中国では昨今、太極拳の自費出版がかなり増えており、数冊の太極拳の書物を立ち読みしてみたのですが、不思議に当派が宋遠橋十七世や楊班候大師より頂いた資料とまったく逆様でした。伝統太極拳の信憑性が下がるのもわかるし、一応、型崩れの少ない競技太極拳へ傾くこと自体も理解せざろうを得ないことになりますね。
なにしろ、伝統太極拳を修練している皆がこの責任を負わなければなりませんね。私も含めて皆で反省をしましょう。

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