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エゴ

2013年11月19日

 これはラテイン語のegoという言葉からポルトガル語になり、そして日本に流れてきたことばです。我れという意味になりますが、綴りの変化で色々な格へと変わることはラテイン系の言葉の特徴でもありますね。例えば、エゴイズム、自己中心的になります。和製外来語では一般的にエゴというとエゴイズム的な意味も含まれておりますが、言語本来の意味は我れ、または我れに帰るとの二重の意味になります。
 数年前に、とある地方の一時間一本の二両編成電車のドアの前に高校生の皆が教科書お読んだり、携帯メールを打ったりしていて、乗り込んで来る他の会社員の為に奥へ詰めてくれなかったことで大議論になったことがあります。学生達は後に色々ときかれた時には実にさらっと「別に」と一言で片付けてしまいましたね。学校の担当者は「うちの生徒が悪くない、電車が短いし本数が少ないからよ」と理屈は十分ですね。会社を一時間近く遅刻してしまった側が奥にかなり空いていることを学校側に問い詰めると、学校側は大反論でしたね。「これは大人のエゴだよ・・・。」そののち、マスコミも参戦で学校側の横柄も指摘されたのですが、結果的には日本では売る方は一番理屈がない為、鉄道会社が公に謝罪してピーク時の電車一本を増やす手段で安定させました。私はというと、腹の中でこのようなことを言っていましたね。「これは子供のエゴだって・・・。」
 今日になって「エゴ」という言葉を振り返て見ると、これは人間である以上誰でも持っている癖のようなものですね。勿論、これはただの我れという意味ではなく、自己中心という意味合いでございます。わたくしも自分の為なら他人のことより優先して行うことがありますし、人は忙しくなると視覚が狭くなって回りが見えにくくなることは自己中心的に問われないのが常識です。だが、一つの分野、また専門領域において自分の主張と他人の理念が一致しない時には、人間が自動的にエゴイズムが働き、自分の主張を正当化したり、必要な時はやむを得ず違う理念を取り上げて比べたりします。これは日本的な一般の言論常識ですが、西洋や中国だと自分の論点を正当化する為に、他の論点を批判しその説をひっくり返す程の勢いでもってかかります。これがおそらく中国功夫という独特な分野またはそれと関わる分野でも起きていますね。
 中国人の癖ですが、5000年、4000年をよく使います。でも、その方の分野における熟成度を確認すると中国脱出前の速成で、その歴史はせいぜい半年しかございません。このように4000年で世界の人々に押し付けるとまさに悪徳的な「エゴ」になりますね。そしてなんと世界中の漢文化をこよなく愛する多くの方がその低い熟成度を信じ歪んだ漢文化をこのまま受け入れてしまうことも多いようです。
 エゴがなくなったら人間ではなくなることは多くの哲学者が断言しております。エゴは人間の勲章でありますが、その勲章に対等する熟成度や実力は「エゴ」(我れ)が修練していくしかありません。「まだ修行と途中です」と、何故か熟成度が低い方も急にこのようにご謙遜になる時がありますが、それならばご自分の「エゴ」度を少し下げて頂ければよいではありませんでしょうか。
 自分自身に対する自信と言うものがあって当たり前です。その自信たるものを他人に売り込む時では信憑性や成熟度、実在的に目に見える効果的な収益も求められてまいります。私は誰でも素晴らしい「エゴ」を持って欲しいですが、そのエゴが人々の足枷にならぬよう節度をコントロール出来る範囲に納めることも大事ですね。

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