また、サッカーの本田選手が段階を踏めばと発言されましたね。本田選手のサッカー人生を見てみると実に一歩一歩がしっかりと足跡を刻みながら歩んできてきます。勿論、サッカー三浦選手みたいに私とそんなに年が変わらなくてもまだ現役という方もいますが、サッカーの選手生命はかなり短く、怪我も多い為一つひとつの段階をしっかりと踏んで進んでいくことはかなりの精神力が必要になることはわかります。何故ならば太極修練者はサッカーの選手生命よりももっと長く、踏まなければならない段階も一人のサッカー選手よりかなり多い為、逆に短期間(サッカー人生は20年?)できちんと段階を見極めて一つひとつクリーアしていくことは常に高度な緊張が張り詰めていることの難しさはよく理解出来ます。まして、欧州サッカークラブでの競争の激しさは並ならぬものがあって出場出来るだけでもかなりの努力が必要ですね。アジア選手が世界のビッククラブで10番を背負うことなんてかつてはまさに漫画の世界しかありませんでした。
一方、日本人や韓国人の並ならぬ強い精神力からはこのような挑戦はそんなに難しいことではないような気もしますね。アジアはもう栄養的には欧州とほぼ同じレベルに来ていますし、体格もサッカーと言うスポーツに於いては欧州や南米諸国とあまり変わらなくなってきましたので、サッカー先進国の仲間入りは早かれ遅かれのことです。世界的なサッカーレベルもかなり上がってきていますね。昨年末のトヨタカップの決勝では史上はじめて欧州と非南米のクラブが戦いました。隣の韓国は自国開催ながらワールドカップ四強入り迄も果たしましたね・・・。
非常に残念ながら世界の太極拳と言う武道(スポーツ?)の実力は下がってきているような気がします。当派は現在、五代目、六代目弟子の実力が低下しており、練習量が少なく師匠に難しい技を教えることだけをオネダリする者もおります。それこそ本田選手がおっしゃる「段階を踏む」ことに当て嵌りますね。基本拳も間違いだらけでは活歩推手を教えてもただ転ぶだけでしょうね。他の流派がどのような現状なのかは私は把握していないが、陳、楊、武などの兄弟達の話しだと当派とあまり変わらないような状況だそうです。勿論、太極拳文献の保存状況や封建社会的思想からの離脱度など多くの社会的な事情が太極拳の継承に大きな影響をしていることは事実ですが、太極修練自体も実に近代人に合わないような独特な難しさがありますね。一例お申し上げると太極修練の段階と言ったら一日が一段階と言ってよいです。一日練習していないと一ヶ月に太極拳を練習していないとあまり変わらない身体状態になってしまうことは、私も最近になってようやくわかりました。これはおそらく何とか体の軟化が老化に追い付いたのではないでしょうかね。とにかく私は現在一日だけでも太極拳から遠ざかったら体がかなり硬くなりますね・・・。
サッカー選手や野球選手の場合は高度な筋力が必要あり、オフの時期は少しゆっくり出来ると伺ったことがありますが、ある程度のトレニングも継続しなければならないでしょうね。太極拳は柔らかい筋肉と体の軟化の訓練法であり、体内の陰陽五行の諸要素も同時に調和しなければなりませんのでサッカーと比べ格段に精密な段階が必要になってきます。
サッカーが創造と言う言葉で表すのなら、太極拳は修復という表現が最も相応しいではないでしょうか。傷ついた体と心の修復、骨や筋のズレの修復、臓器の修復、減り続ける体内エネルギーの補充など総合的に色々なことが求められます。そして、すべての修復や補充がある程度終了した段階では、信じなれない護身の技が御身より自然に流れ出ますね。
近代社会と太極拳の大きな違いはおそらくここにあります。近代社会では結果を求めながら結果を作っていくことで一つの法則が出来ていますが、太極拳というものは結果を求めずにその結果がいつか自然に現れてくることを待ち望みながら一日いちにちと言う単位の段階を自信をもって踏んでいくことになります。近代人にとっては結構難しい話しでしょうね……。
段階を踏む
2014年1月9日