旧 太極拳よもやま話 未分類

意識の糾明

2013年12月21日

 これは呉式太極拳の先人達を真似して日々行っていることです。一種の黙想のようなものですが、気功修練にもなります。そして、自分自身がこの時点で何をしようと思っているのでしょうか、この時点でどこへ向かって進もうとしているのでしょうかを自分自身に問いかけます。そして、時々今日に至る迄自分自身の行いの中で反省すべきところをも思い出して今後の改善策などをも練ります。これは道教で太極修練をする前に既に人間修練をしなければならないことからきたものであり、かつての太極拳家元ではかなり重んじていました。この話しでは今日の世界ではどの国もあまり通じなくなってきたことは実に悲しいことで、先進国であればある程古典的美徳が通用しなくなったことはもはや人類進化の一貫とでもとらえる考えは密かに私達の意識を占領し始めていることはもやは避けられないことです。
 師馬岳梁はかなり謙る人間でした。私的にはこれも人間修練の結果ではないかと思っておりますね。格闘技としての太極拳は他の功夫と違いまずは欲張らないところから始まるのが基本です。そして、欲張らないと言っても結局その人の性格自体が欲張らないものではなければ、太極勁が身に付くことも相当難しいでありましょう。実際、太極拳を使うとのことになると一般的に推手になります。推手の時に自我を捨てて相手様に従うことはとても大切なことであり、相手様よりのパワーを感じていたらそれに抵抗するのではなくそのパワーを上手い具合で回収してしまうことが太極勁修練の第一歩とも言われています。このような独特な性質を持つ太極推手ですので、独特な人様と争わない性格の養成から常に自分自身の意識の糾明迄要求されてしまうことも避けられないですね。結果的に申し上げますと太極勁はいかなる技で相手に勝つのではなく、自分自身の身体的な間違いを極限に少なくすることになりますので、今日迄の修練法に関し糾明することも不可欠でありましょう。そして、違う角度から人間その者を見てみると人類は誰でも欠点を持つ者で社会で認めて頂く為には自分自身の点検が必要になります。太極勁は人間その物ですね。
 今日こそ古典道教からきた「意識の糾明」というものを太極修練者の皆様に提案したいです。理由は簡単で難しいですね。少なくとも近代化社会において受身的な人間は社会から疎外されることが殆どです。なので資本主義社会では何事も積極的でなければ淘汰されてしまいますが、古代道教では何事も少し消極的に行うのが丁度いいではないかと、何事もバランスが大事だとの主張は、今日の評論家の皆様も提唱しているものの実際に競争社会に置いては常に積極性を求められてしまいます。そして、日本はマニュアール社会であり人々は何事もマニュアールの沿って動くわけです。マニュアールの元で動くとじつに楽ですよね。そのマニュアールを見直す必要はもはやありません。そして社会も中々進化しなくなりますね。せめて古典哲学の非常に近い太極拳の世界の中で「意識の糾明」、言い換えればマニュアールの是非を問う行動をお願いしたいですね。太極は柔和の代名詞でもありますから太極修練者ならば「意識の糾明」って簡単に出来そうな気がします。
 今日では「過去を忘れて前向き…」のようなセリフが多く聞こえてきますが、人間は過去の誤ちを改善または改心しなければ今後の人生も今日迄の繰り返しになることが想像出来ます。正しくいうと「人間は過去の誤ちを理解した上で前向きな将来がある…」との言い方が良さそうな気がします。私達の過去は多くな財産であります。簡単に忘れないようにしましょう。「意識の糾明」はまさに過去と輝かし未来との架け橋のようなものです。駄目元でも太極修練者でしたら試しに行ってみて下さい。それで太極拳以外の方々の間で広げていたら「意識の糾明」は流行語大賞でも頂けるのでしょうね…。

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