旧 太極拳よもやま話 未分類

師としての師、親としての師

2013年4月26日

 わたくしの師と言えば、呉英華、馬岳梁の二人ですが、今から思うとこの二人は師と同時に親のような存在でもありました。
 思い起こせば20年程前に中国人のグループで旧正月パーティで紹介された日本人の先生で、渡された名刺には競技太極拳師範のような文字があった為、呉英華、馬岳梁について訪ねたところ「この二人は誰ですか?私は本格的な太極拳しか知らない」との返答が帰ってきました。私は当然にように黙り込み、当分はこの日本で呉式太極拳を広げていくことは至難のわざだっと腹をくぐりました。
 案の定、呉英華、馬岳梁の名前が日本のインターネット上に現れたのがその12、13年後のことです。そして、その時から呉式太極拳の所謂「南北」説が大々的に綴られてきました。でも、本当は呉式太極拳には「南北」というふうに分かれていないです。ただ、時の流れでそれぞれの基本拳からやその他の技の保存状態で呉式太極拳自体が少々、違うように見えてくるだけの話です。私の太極拳も呉、馬とも違いますよ。(完成度の違いと型崩れの両方)他に同門の太極拳もそれぞれ、微妙に違いますね。太極拳と言うものは固定していて、我々人間はそれぞれ生きているですので、それぞれの体つきで太極拳が微妙に変わることも致し方がないと思います。呉と馬の太極拳も少し違いますね。
 呉と馬の二人は人徳者でどんな酷いことも常に我慢をし、私が時折、切れそうな事件(両師に不利な事件)に関しても、二人は丁寧に私に我慢するようにとお願いするのです。私の親よりも遥かに優しく接してくれていますた。(太極拳に関してはかなり厳しかったですが)四方山をご覧の皆様はきっと、どれ程の酷い事件ですかと訪ねたくなるですね。実はこのような話しでした:馬師の弟子の一人が太極剣、太極槍を勝手に改ざんし公に教え始めました。このようなことは例え、日本伝統文化の能や歌舞伎に世界に於いても決して許されないことでありましょう。でも、呉と馬は我々(両師と私のこと)が改ざんしないように呉鑑泉の太極拳を後のように伝えて行けばいいとしか申し上げませんでした。そして、二人は立ち上がり、この沈剛に対して人のことを言う暇があったら基本拳の確認をしようと、その後は延々と2時間も二人で私と一緒に基本拳の練習をしてくれました・・・。
 二人の師は大変謙遜な人間でした。二人とも名刺を持っていましたが、呉式太極拳と名前と住所、電話番号しか記されていませんでした。例え弟子の弟子が訪ねて来てもいつも二人揃って2階から降りていました。数ヶ月前に上海で馬の弟子の裴祖蔭氏の門下で劉継發という同門を訪ねた時も、彼もこのような話しを口にし感激して目が潤んでいました。
 馬師は公園等で練習をする時は何度も他の武道の人より襲撃を受けていたのです。彼はやむを得ず相手に怪我をさせた時は全ての医者代を負担していました。正当防衛では通常、このようなことはしないはずですね。
 私に対しては言うまでもなく、例え弟子入りしていない一般の方に対しても真心で太極拳を教えていました。弟子入りしていなくても呉式太極拳慢架、快架、乾坤剣、四正推手などはめいめいに教えていました。上海の呉式太極拳協会は毎月、各公園で発表会を開催しますが、馬師は毎回のようにそれぞれの公園で呉式太極拳を練習している一般人のご年配に方々に挨拶を交わしていました。
 呉式太極拳巨匠の呉英華師、馬岳梁師は呉式太極拳に対して最も著しい貢献をしていたと勝手ながら自分の師を自画自賛したいです。
 昨年、私が交流を呼びかけていた山梨呉式太極拳のホームページを拝見させて頂いた時に大変感激な言葉が目に入ったのです:
 「山梨で馬岳梁老師・呉英華老師の太極拳を教えています。馬岳梁老師・呉英華老師の太極拳は呉式太極拳と呼ばれ、世界的にも広く普及しています。動きは地味ですが、無駄が無く武術的にも健康法としても優れています。」
 その時は本当に込み上げてくるものがありました。師呉英華、師馬岳梁は人々の心の中に行き続けていますね。
 大江东去,浪淘尽,千古风流人物。
 呉と馬の爪の垢を煎じて飲みたいものです。

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