旧 太極拳よもやま話 未分類

人間(第十一章)

2013年12月31日

現在も太極拳と言う拳法の起源についていくつの異なる説が存在します。わたくしはどの説も批判しません。それぞれの流派の立場、モチベーション、地域性によって違う起源説が生まれるのはいかにも中国と言う国っぽいですね。歴史的な物語においても何通りの言い方があり、かつて中国では「説書」と言う稼業があり、「説書先生」によれば全く違う歴史小説が延々と綴られてきます。勿論、それぞれの先生がそれぞれのファンがいて、その通りの歴史が巷の歴史小説になるのが慣例です。ウィキペディアで投稿した太極拳の記事がどれも不完全と言われても仕方がありませんね。皮肉的に古代道教の説明ではまさに近代社会の事を予測したような感覚で太極は人間と同じく、いつの時代になっても不完全のままでありましょう。私なりの原因を言わせて頂ければ生身の人間で小さな宇宙を表現しようとの試みですので当然のように限界が生じますね。
 当流派は馬岳梁と言う人間がいました。彼はおそらく近代太極拳巨匠の中ではじまての大学卒業のもので医者でもあります。私が幼い頃に風邪をひいたらいつものように師匠の家に駆けつけしたが、師匠は私の頭に暫く手を置いて「気」を注入したら、「すぐ病院へ行きなさい」と必ず言いましたね。人間の体がどこまで気功で治せるのかはおそらく師匠が誰よりもはっきり解っているからですね。師匠は歴史の研究も絶えず続けていました。当流派では一応、太極拳起源説を王宗岳……蒋発→陳長興→楊露禅→……呉鑑泉へと言う風に説明しており、実際、呉鑑泉先生は王宗岳派と宋遠橋派の二種類の太極技を同時に習得しており、現存の太極拳流派の中でも豊富な内容で有名です。当派三代目弟子の馬岳梁先生では太極拳巨匠の傍らに文学者でもあり、人と言い争うことなどは出来る限り避けていましたね。しかも、他の太極門の方々には最大の敬意を表し続けていました。勿論のように我々に対しても決して他派の悪口や影口を言わないようにと厳しく教育し続けていました。今日になっても師匠の偉大さが身に滲みる程に感じていますね。
 しかし、今日の当派(上海派)も他派の悪口を言う人が増えています。勿論、私も他派の方と議論することがあり、自分的には特に「張三豊太極拳論」や「王宗岳太極拳論」とあきらかに違う学説や正反対の解釈などに対して敏感に感じ議論に参加しておりますが、他の流派が実力がないとか、推手が出来ないとか…、何も残っていないとかは言わないし言える立場にもいません。しかも、当派の一部分の馬岳梁先生や他の先生の教育を直接に受けていない人間が当派の仲間の悪口も言っていますね。その内容は自分の推手が強くて同門の他の人は推手が出来ていないとか、某先生も年をとって弱くなったとか…。年をとると弱くなるのが自然規律ですが、私はその偉い先生に「貴方は年をとりませんか?」とでも伺いたいですね。
 推手と言えば一種の人間関係の現れとも言っています。馬岳梁先生や銭超群先生、張金貴先生などは自分の軟らかさで弟子や学生の推手を誘導しそれぞれの実力をアップさせることを図りながら推手をしてくださします。勿論、あまり力尽くで先生に向かう奴に対してはこれ以上推手出来ないと判断されてしまい、手を交えることが出来なくなることがありますが、それであの先生はもう弱くなって自分には勝てないとかと言ったら言語道断ですよね。昨今、呉式太極拳や日本や世界で多くの支持を頂いておりますが、家元でもじつに沢山の複雑な人間関係を抱えています。
 ああ、人間、地球の主宰者…。

 喪中につき新年の挨拶は省略させて頂きます。来年も「太極拳よもやま話し」をご贔屓くださるよう心よりお願い申し上げます。

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