旧 太極拳よもやま話 未分類

私の太極拳経験(幼少期)

2013年4月23日

 私は太極拳に於いて、大変寂しい人間であります。長い間師と離ればなれで一人での修練が続いていました。父親のスパイ疑惑で故郷である上海を20年近く離れていた為、太極拳に関する疑問等はお手紙で師呉英華、馬岳梁の指示を仰いでいました。私はわりと小さい時から太極推手を学んでいましたが、何しろ推手の相手がいなくて困っていました。一般的に太極拳や中華武道に世界では初心者、中級者、上級者の3段階で実力を申すのですが、上級者の上のレベルのなると毎日推手の練習をしなくても基本拳や気功の練習で推手のレベルが上達します。初心者や中級レベル、上級に入ったばかりのものは常に人と推手の練習をすることが不可欠です。ほぼ、一生ですね。25キロ程離れている宜興城には幼少期に師事をしていた楮桂亭師(楊式太極拳、形意拳巨匠)が住んでいましたが、0.45元(当時一日の生活費)の交通費を無駄使いしたくない為、宜興城で楮師の推手練習も断念せざろを得ませんでした。地元で一人で基本拳を毎日のように練習していたら、ある日近所の爺様から声をかけられ、私が練習しているのが太極拳であるか否かを聞かれました。爺様は元々知人であり陳氏であることは知っていましたが、後に交流したところでは陳家溝からの移住民であることが分かったのです。爺様は文盲であり新聞も小説も読めない為世間との交流は殆ど無かったらしいです。当然のように、呉式太極拳は知りませんでした。爺様よりは推手の交流出来るのかと聞かれたが、13歳の私で大人との推手を怖がっていました。爺様は農家でお顔はかなり黒くてどう見ても60歳に近いように見えるが、伺ったところで自分の父親と同じ年齢であることがわかったのです。そしたらもっと怖くなりますね!40歳前後の男性は何れ程力があるのでしょうか?でも、爺様は推手をしたくてそわそわしていました。
 母親と相談し陳爺様に交流を承諾したところ、その日母が不安で付き添いをしてくれました。陳爺様は大変穏やかな人間で私にお菓子(一日の生活費位)を差し出して心配する私達親子と笑顔を交わしながら話し始めたのです。大都会上海と陳家溝からの移住民ですが、何故か親近感溢れる会話に励んでいました。
 勿論、推手の交流もしました。
 当時の私は13歳で1m52位でしたが、陳爺様は1m68もあり、頭一つ分の差ですね!そして、陳式太極推手は若干手が重く、呉式推手は手が軽いです。基本的に陳式が攻めが中心で呉式は交わすことを重んじます。ただ、その時の私は基本拳ですら一年程しかやっていない為、推手何かかなり弱かったのです。学校ではかなり強くなったのですが陳爺様との推手は歯が立たないでした。
 でも、陳爺様は数年に渡って私と交流をし続けていました。陳爺様は私より一歳年上の息子がおり、彼も基本拳や推手を教わっていましたが、私には勝てなくがっかりしていた時期があり後に彼も猛練習して精進していました。私はそのお父様との交流で推手が進歩し馬師が教えていた「十三式」もしばし陳爺様のところで試してみました。
 陳式太極拳の推手は基本手法が呉式ほどではありませんが、基本拳からの活用で決して呉式に負けない程の技があり、このようにして本当に充実した幼少期を過ごし、馬師も呉師も陳式太極拳との交流を快く承諾してくれていました。
 旧正月や夏休みの間を利用し故郷の上海へ帰郷し、馬師に推手のこつを学んだら田舎へ戻り陳爺様と推手の交流を続けておりました。15歳の頃では陳爺様に勝てるようになったのです。

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