太極は中国古代の道思想から来ていることは「四方山」ははじめてからずっと話し続けておりますが、わたくし自分も道思想を勉強している真っ最中で道思想は人間そのものですので実に難しいです。
人間はおよそ、他人が話している内容を受け止めてからそれに対して反応を起こして相手に言葉を返すのですが、人様の返す前に既にその人の話しで躓いてしまうことも多々ありますね。それならそれで適当な言葉を返したりして誤魔化します。これで、人それぞれ違うのですが、その躓いた内容を直ぐにでも忘れられるタイプの人間とかなり長く尾を引いてしまう人間で、道思想の習得レベルがおよそわかります。我々日常で言っている気にする、気にしないという人間力は実は道思想深さの現われでもあります。
日本人で言う「気にしない」という言葉は実に道教思想の結晶であり、古代道教思想が日本国でいかに根を下ろされていることは揺るぎことの無い事実で、実生活が道教にかなり近い国は現在のところ、世界を見渡してもおそらく日本だけになります。幸せな国ですね。
でも、気にしないと言っても色々な意味が含まれています。
まず、本当に人間が出来ていてどの様なことがあっても動じないタイプの方がいます。亡くなった親友がこうでした。彼は名古屋にある200人程の会社の常務でしたが、人柄がよく私達在日留学生の身元保証人などの苦役まで喜んでやってくれていました。彼は一会社の二番手で勿論、ストレスもかなりありますが、私には一度も愚痴を溢したことがありません。逆に若い自分は彼に悩みばっかり相談を持ち掛けていましたね。ある日二人で飲んでいたら私は彼に伺ったのですが、貴方は悩みないですかと、彼は「あるよ、お前に悩みを増やしたくないから言わない」と答えてくれました。結果的にどのような人間でも悩みがあり、人と共有するかしないかはこの人の許容力と人間力にかかってしまいますね。気にしないが旨くその人と関わっていく自身があるから「気にしない」と、道教思想の頂点のような日本人がいましたね。そのようなお方と出会って光栄です。
でも、昨今の「気にしない」という付き合い方は、どうも難しい人間関係から逃げていることも多いようです。付き合っていたらたまるもんか?自分を守るだけで精一杯だねとかが多いでしょうね。当然、社会全体が複雑になってきていますので、取り合えず「まあいいか、気にしない」と言って誤魔化してしまった方は身の安全ではありますが、社会全体が互いに相手の立場を考慮した上での行動も道思想で重んじられています。
また、特に中国人やアジア人には多いですが、中途半端でインターネットで仕入れた間違った情報で自分の周りの人間と堂々と交流している者が多いです。特定の業界のプロがいると全然間違っていることで唖然とする場面も多いです。その時も多くの方も「まあいいか」という風に聞き流してしまっていますが、勿論、これはすべてその個人の問題ではないですね。色々な人間が嘘の情報をネットで流しているので多くの方が嘘を真実だと信じ込んで理性知識として他人に披露しているだけの話でございます。
まあ、いいか!!!
太極拳開祖張三豊師の言葉です。
无根树,花正幽,贪恋荣华谁肯休。浮生事,苦海舟,荡来飘去不自由。无岸无边难泊系,常在鱼龙险处游。肯回首,是岸头,莫待风波坏了舟。
犠牲的な太極思想と道思想
2013年8月20日