私が民族的個性という表現およく使うようになったのが、この国に来てから日本語を勉強している時のことでした。当時の日本語学校は小論文の勉強があり、同じ感じ系の人間であって、日本語の表現が出てこない時なんかは漢字を並べては新しい言葉を作る人間もけっこういます。学校の先生は特にマイナス的な評価もせずに我慢強く、新しい「中製日本語」を適切な日本語表現に直してくれたわけでした。そして、このような素晴らしい日本人の先生を見て、これは一種の国民的な輝く点だねと感激していました。そして、勝手に「民族的個性」という表現を作ってみたのですが、なんと日本語の先生が修正しませんでした。その後、私の文書にはこの「民族的個性」という表現がよく使うようになっています。
考えてみると日本人は素晴らしい人種であることは、遠の昔から認識しております。これは私がこの国に四半世紀も生息している理由でもあります。財布落としたことがあって、小銭も札も抜かずに返ってきたことがあります。二十代の最後の年にお酒を飲んで急性アルコール中毒になったことがあって、警察様には大変お世話になりました・・・。日本という国はどんなことがあっても、頭を下げて誤っていれば、大概はこれで済みますね。職場で例え人間関係で問題が生じても互いに誤って、一杯飲んで、発散しておけば元通りに修復することも意外とどの国よりも簡単です。とある欧州の方は日本人が単純だと言っていますが、私が実際に感じている日本人は難しい事を簡単化する能力が優れていることでこのような隣人関係を築いているはずです。近代日本人はいつも平和的な環境で生活していることが出来ているのが隣人を大切にしていることと、仕事優先モードが余計な複雑な人間関係が許されていないことではないかと感じています。電車の中では中国や他の国と比べればあきらかに静かです。共有空間では人に迷惑をかけないという自己意識が働いていることですね。「四方山」でエゴという表現で日本にも自己中心的な人間が存在すると言及したのですが、実に少ない国であることは間違いないです。
このような柔和かつ謙遜な国では、詐欺もはたらきやすいですね。「俺俺詐欺」はなかなか消えないですし、悪徳商法もこの国では何とか商売を続けていますね。損害賠償が起きてもおかしくない分野なのに裁判は起きていないですし、お金を巻かれてしまった方は我慢して自己反省をし一からやり直すことで頑張っています。この国はいつの時代に於いても大きな混乱が生じることが有り得ないでしょう。東日本大震災のような前代未聞の大事件でも、日本が乗り越えてきていますね。遡って前後間もない時の大事件ですが、国家再建の為に国から人々には90%の税金を徴収しましたが、誰も文句なしでその税金を国に収めていました。今日も遺産相続税が金額によっては50%ですが、それでも数人の友人は例え50%にしても日本は住み易い国だっと申しております。昨今、不況で日本もかつて程の元気がないですが、私はきっとこの国は再起出来ると信じております。
逆に隣の中国の人間関係を思うとかなり難しいものがございますね。中国民族は改革好きとの性格は避難出来ませんが、伝統文化を蔑ろにする傾向も存在します。中国民族は世界のどの民族よりも派閥闘争が好きで、同じ分野で東西南北流派、甲乙丙丁派閥は当たり前のことです。同じ流派、同じ派閥の中でも必ずと言っていい位に傲慢な人間同士の足の引っ張り合いで衝突は日常茶飯事です。また、妬みによる中傷、極度なひねくれた個人による悪戯は今日になっても中々耐えないそうです。私のホームページに対する中傷も中国からの物が殆どですね。
太極的な考えでは近代中国のような民族性では太極拳修練にはあまり相応しくないと言わざろうをえません。太極修練は日本人のような民族個性が最もよいと多くの国の方が申しておりますね。我慢と謙遜は太極思想そのものですし、人と共に成長することも古代道教思想の現れであることは世界各国の哲学者の誰もが認めています。
日本人は太極修練に最も相応しいであることは最近、悟るようになりました。本当に頑張ってくださいね。この雑草のような者でも宜しければいつでもお助け致します。
人間(第六章)
2013年11月24日