旧 太極拳よもやま話 未分類

異種格闘交流

2013年11月23日

 大晦日になると実に多くの武道家がその流派の意地をかけて、長い準備を経て一生懸命戦います。実際、普段の小さい試合も色々な方式で行われていますね。太極はというとこの数回で私も懸命に弱者の拳法となかなか修練は難しいとのことを申し上げ続けてきましたが、本音を申し上げますと太極拳で柔道家やキックボクシングなどと戦うことは至難の技で年数と修練法の両立が出来ていないとほぼ無理です。実際、若い頃に呉英華太極拳教室に携わっていた頃に多くの他拳法の先生より交流の申し出があり、実際に教室と違う時間帯に数人と交流をしたこともありましたが、はっきり申し上げますと明らかな優勢は感じないですし、中にも現役特殊部隊で特訓している自分よりも若い方の格闘技にはかなり苦闘しましたね。(負けと言ってもいい位・・・)当然、当時の自分の太極勁はまだかなり低いレベルの状態で今日の自分でしたら勝てそうな、と言っても当時の若い兵士さんも長い間ずっと修練し続けていたら自分がどれほど優勢があるのかははっきりわからないことです。太極勁的には合理性を求めるわけですので、その軍人さんとの距離はある程度詰められたにしても相手も長い間修練し続けているとのような設定からだっと、勝てる自信がまだありません。
 でも、実際のところ、現在の多くの太極拳流派が他の太極拳流派との間の推手でさえ拒んでおり、異種武道との交流は殆どしないでありましょう。これはおそらく、中華功夫の中で中国的面子が強く働いていることもあって、負けを怖がるのではないかと思います。というよりも実際、かつての上海で推手で負けたら何年も家に閉じこもったりしてしまう人が多く、このまま太極拳を止めてしまう人もけっこういました。または自分より推手のよい人間が亡くなった後に復帰」するような方もいますね。実名は上げ難いですが、ある巨匠の方が油断して民間の一般の方に推手で負けてしまい、その負けを受け入れ難くこのまま病気になり、半年後に帰らぬ人となったケースもございました。交流すること自体は悪いことではありませんが、交流することでぐ自分の人間力も当然のように問われています。少なくとも負けたら負けたで、これをもっと修練していく原動力に変えられる自我のコントロールが備わっていれば、いくらでも交流しましょう。
 遡っていくと、張三豊師が当時、太極思想を制定する際に、太極修練時に自分自身を「無根樹」のように修練しなさいと例えていました。無根とは、当たり前のことです。人間は日本足で地に立っていますが、一本に樹は今日と明日はあまり変わらないですし、急に移動することもないですが、時々花を咲かせたりして、寒い冬は自分の皮で寒さを凌ぎます。根っこはないが、大地の恵みをしっかりと体に吸い上げ、回りに何か誘惑があっても動じることはないですね。このような修練法だっと太極推手も当時はおそらく一部の仲間の間に限られて行われているのではないかと、封建社会の特徴も頭に置きながら想像してしまうものですね。当時の太極は実に高嶺の花であって、真面目にやりたい人は社会身分や金銭のことでなかなかさせてもらえないですし、裕福な人は金銭的問題がないにしても多くの趣味を控え、太極拳に打ち込むことはありえましょうか。長い間の世界文化遺産のような太極は今日のように残りかなり少ない内容になってしまったことは全然、不思議なことではありません。
 太極思想は素晴らしいものですが、いにしえより今日に至るまで様々な矛盾点をみせながら絶滅していないことはとても不思議です。特に日本ですね。儒教思想や道教思想が社会の中で根強く生きています。

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