旧 太極拳よもやま話 未分類

古典はいかなる物?

2013年11月24日

 およそ、昔のことを古典と言ってしまいますが、典という字になるとどう考えても模範的なまたは典型的な事例に限ってしまいます。古代の物が世界文化遺産になっている物がかなり多く、地味で無造作な古典的作品は正に美と知恵の結晶とも言えますね。
 まず、音声の美と言えば、1,400年代から1,600年代当たり迄の「ルネサンス」音楽であります。今日では世界文化遺産になっている唯一の音楽ジャールであります。当時では、人間の声によるアンサンブルも本格的に研究され、様々な現在の楽器の前身になる楽器ですが、今日の色々な楽団に使われる程、その単純であまり響かない音が実に多くの文化人を魅了し続けています。欧州ではその時期よりも大分近代的なバロッコ音楽の巨匠であるJSバッハの作品を演奏する時でさえ、あえてルネサンス楽器を使う程に古典美を重んじています。そして、世界の様々な音楽大学ではこのルネサンス音楽を「古楽」という美しい名前を与え、古代の人々の歌い方迄真似し、極力再現に力をついやしています。代表者の一人のパレストリーナの36声部の合唱作品なんかは実に美しい調べの集大成でございますね。
 美術の世界では、「骨董」と言う専門用語があり、絶半になったものや有名画家の作品は何兆単位の高値がつく場合もあります。西洋画の有名画家セザンヌの作品でかなり小さいものでも、本物であれば10億は下りませんでしょう。中国工芸品の唐三彩なんかはかなり小さい作品でも億単位の値段が付いてしまいます。現在の中国では株が不安定だし、不動産もかなりバブルの影響が大きい為、人々は絵画や美術品の売買で実に沢山の金持ちを作り上げてきました。勿論、いつものように中国は偽物を制作する技術も一流で、博物館の鑑定士でさえ偽物を喰らってしまうことがあり、日本人のコレクターさんの皆様は気を付けて頂くのが身の為ですよ。
 文学は言うまでもなく、世界のどの国も不朽の名作があり、いくつの時代が過ぎても、昔の人々が書かれていた作品はいつの時代になっても愛読され、奇しくも近代文学と比較する人が多く、大学では古代文学や哲学を近代人の思想と比較しながら学習していく分野さえ存在しており、例え資本主義がかなり長く続いている国でも近代文学の他に素晴らしき先人の作品を読まれ続けてきました。
 そして、ここで特に言及したいのが古代の歴史です。私は歴史が苦手で義務教育の前半は丁度、中国文化革命にかさなり、地理や中国古代史なんかは一般の日本人よりも劣っているかもしれないです。でも、自分で何とか古典小説や歴史的文献を独学して参りました。わたくしは古典的思想の地味なところに惹かれており、単純な思考方法を魅力的に感じます。自分の経験ではストレスを溜まった時点で大昔の文献を読むと、そのあまりにも単純なもので心を癒すことでさえ可能です。
 だが、何故か古典的な太極拳も日本の古武術に少し似たように、単純で最も実戦的なのに、あまり人々の心を掴んでいないような気がしてやみません。やはり、人体的な面からみると人間の動きが古代人と大分違っているようですね。
 でも、なんとなくわかるような気がします。人間はもはや実戦という言葉は必要がなくなってきましたね。ならば、平和的な見せびらかす美を追求してしまいます。数万年の進化で人間の体は以前よりも綺麗になったはずですが、でも、内在的な美や強さはもはや失いつつあります。
 わたくしはこのような失いつつの人間にとって、本来あるべき姿を少しでも取り戻す為に、古典的な呉式太極拳を推敲しながら広げております。そして、自分はけっこう古めかしい人間のようで近代人ですが、このなかなか埋まらない溝を埋めつつ日々頑張っています。

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