この世にはこれ程独特な分野がないと言ってもいい位に、現在世界では数億とも言われている太極拳の愛好家がいます。これは競技太極拳に感謝の意を表したいと存じます。太極拳自体が簡略化されたことで実に気楽に体を動かすことが出来るとのキャッチコピーでまさに老若男女のスポーツです。現在のところ気高くて実力低下傾向の太極拳家元も一応競技太極拳のスポーツ的メリットを認めております。そして競技太極拳の方々も少しずつ伝統太極拳について趣味を持つようになってきましたね。世には歩み寄る程に嬉しいことがないですが、これはすべての太極拳師範や先生、巨匠や大師にかかっていると私は思います。いかにして実力のない人達を尊重していくこととか、いかにして実力があまり変わらない人を大切にするとか・・・、いかにして謙って自分より実力のない人間にも頭を下げるとか・・・。恐らく道教の教えに従ってやっていれば太極と言う分野の中で足の引っ張り合いや権力闘争、他に色々な複雑で不愉快なことも皆無でありましょう。
太極拳はご周知の通り独特な拳法ですが、太極思想というものも実に独特であります。これは約五千年前から継承してきたもので今日の世界とは大分違う一面を持っています。当然、物事は五千年でも経てば様々な変化を見せるはずですが、でもその根本にある古典哲学的な道教思想自体は変わりがないですね。道教思想とはどのようなものであるのかは老子の道徳経を読めば少しは理解出来るようになりますが、敢えて一言を申し上げるとすべてに於いてあまり積極的に取り込むことがないことです。これは太極拳を見れば一目瞭然ですが、ゆっくりした動き、無力な動作・・・、太極の世界を知らない人はきっとそう言います:「太極拳はどこも一緒です。私が見ていてどれも同じ動きに見えます。貴方はその違いがわかりますか?」やあやあ、わかりますがこれを説明しても太極を知らない方はわかりません。
まあ、太極拳は実に様々な流派、更に支流も沢山ありますが、ひとつ一つ全部比べていたら「四方山」一年分も描ききれないでしょう。ここで少し本質的な太極の独特なものに触れてみましょう。太極は実はかなり狡いものです。その外観から見ても実に温厚な運動のようですが、内面的には色々な細かいカラクリで人を上手い具合で騙し、しかも上級者だと騙して相手を仕留めた後でも相手が何故やられたのがわからないです。現在、研究会で練習している一部の「八門五歩十三勢」はまさにこのようなことです。人の間違った動きを誘導してこのまま間違いを続けさせ、相手が自ら重心を失ってくるのを手伝う作業ですね。決して温厚なものではないですね。そして、もう一点を言及させて頂くと太極拳の修練法ですが、一見緩やかに見えますが、実は体全身がかなり緊張と緩めの連続になります。(太極専門用語では開合と言う)更に中級レベルのなると「開の中の合、合の中の開」という表現があり、いわば体のどこかで常に緊張状態になります。この緊張状態は初級段階では体全体の筋を柔らかくする作業で、中級者になると骨迄もかなり柔らかくなる修練になります。この二つの段階はかなりの年月が必要になりますね。
俺は十五年、俺は二〇年・・・、はい、よくわかりました。これも太極の独特なところです。正しい教えの下で十五年や二〇年を頑張っても太極的修練はまだまだ序の口の場合が殆どです。結果を申すといつも言っているように太極の一番の欠点で一番大きな特徴でもありますが、即効性が殆どありません。太極拳を修練して5年6年が経ったところで他に武道へと転身するケースが非常に多く、太極流派間の移動も希ではありません。
でも、もう一つの結果を申し上げましょう。太極的達人と言ったら一般的には年を取った人間ですね。理由は太極修練はかなり長い時間を必要とするからです。なんか悲しいですね。上級者になれる物はひと握りですし、なったとしても晩年の数年のみ・・・、研究会の学生によると昔の日本柔術も似たような傾向があるそうですね。柔術で達人になった時は死ぬ時だそうですね・・・。
でも、一応、太極では元気な老後、健康な老後というスローガンも持っています・・・。
独特な分野
2013年12月6日