宋遠橋一七世が残された「四性歸原歌」で自己と他人の関係について語られました。太極拳修練や推手修練に対してかなりの参考価値があり、人生に対しても古代道教的学的な分析をしています。
原文:
世人不知己之性。何能得知人之性。
物性亦如人之性。至如天地亦此性。
我賴天地以存身。天地賴我以致局。
若能先求知我性。天地授我偏獨靈。
直訳することは日本人の方で漢文基礎がしっかりしている方もきっと簡単に出来る程の文書です。しかし、唐朝許宣平先生より継承されたと伝えておりますが、この文書を読むと私的には中国の唐の時代のものとは思えない位にわかりやすいです。もしかして後の先生が理解しやすいように編集されたものでしょうね。
当家の先生ではこのように感じております。
健康の為の太極拳なら言うまでもなく、ご自分の体の状況をしておいてください。近代医学での検査も当然ながら一つの方法です。当家では、馬岳梁先生、叔父馬海龍、馬江虎の三人が西洋医です。叔父馬江豹も医科大学の中退ですね。近代医学と古代道教太極拳は何の抵触もありません。そして、太極拳と言うものは自分の体の硬さや呼吸の状況、持久力のチェックになります。伝統太極拳では決して、蹴り上げる足がどこ迄ではないと合格しないことは設けないことにしております。ご存知、どの太極拳を練習しても足を曲げたり伸ばしたりしていますが、例えば真っ直ぐに立って馬歩の時もご自分の体の柔らかさに合わせた高さで十分です。
この考えは武道としての太極拳にも通じます。一般的に太極拳を使う時は推手という手段を用いっていますが、推手の基本の中でも、自分の問題点をまず知っておいてくださいと進めております。自分の体の問題点が知らなければ、人様の体の問題点も感じないでしょう。推手での問題点と言ったら様々ですが、一番基本的には「四病」説になります。私達の頂、扁、丢、抗を無理なく少なくしていけば、いつか推手の相手様にとっても生かされるものになります。道教的には自分自身の完徳を最優先にすることは日本社会にかなり近いものがあり、日本国民は太極拳に非常に適していることも私は申し上げ続けております。
『四性帰原歌』は自己も他人も宇宙万物も同じことだと言っています。そして、人間一人ひとりがこの世界に属しているとの説明も日本社会の全体図に似ている気がしてやみません。自分を知れば他人のことも割合に簡単に知るようになります。勿論、ついでに社会全体についても理解出来るようになっていきます。
外国人である私達ももっと自分を知る努力をすれば、日本社会や日本人との融合も不可能ではないでしょうね。そう思うと一種の安堵感が湧き出てきますね。