今更、この様な話題って可笑しくないと言われますが、もうこの国は現在、太極拳人口が200万とも言われている時代です。でも、あえてわたくしが感じている楽しさ、わたくしが実際に体験した楽しい日々、少しずつ皆様と分かち合えたら幸いです。だって、くだらない堅い話しばっかりでしたら嫌ですよね!
上海の呉式太極拳鑑泉社は月に一度、公園で表演会があります。師呉英華は家事があり、なかなか出られないですが、師馬岳梁はいつも出ていました。当時、師馬岳梁はもう90歳に近かった関係で私と兄弟子の周展芳氏は毎回のように師匠に一緒について行きましょうかと伺うが、毎回、断られていました。師はいつも込み合うバスで目的地迄一人で出かけます。我々に課せられていた任務はもはや、師匠の大きい槍を運ぶことでした。あれは確かに厄介ものでしたが、何故かというとその当時の中国人の生活はまだ、今みたいに豊かではなかった為、あの3メートル程の長い槍を兄弟子と二人で自転車で運んでいました。槍の竿の一番太いところが女性の上腕と同じ位太いし、槍の頭の部分は鉄物で3.5キロもあります。長い分でまた更に思いですね。兄弟子と交代しながら時間をかけて表演会会場へとひたすら突き進みます。馬師の呉式太極拳13槍はいつも5分以内で終了してしまいますが、2時間程の表演会が終了したらまた、二人で師の家迄運びます。自転車では他の自転車にぶつからないよう一人が肩に担いで、片手でハンドルを持ち、もう一人は1先頭で他の人に声をかけては注意をします。他の兄弟子達はこのような荒行を拒みますが、私と周展芳氏はずっとやっていました。自分が東京に来てからは可哀そうな兄弟子が一人でやっていたそうですが、でも、楽しかったです。いつものように槍を家に帰してからは師馬岳梁、師呉英華がいつも私達二人に太極拳論の説明や太極推手の細かな注意点などを与え、疲れた体にも関わらず馬岳梁師は必ず、私達と個別に推手すます。また、その日のおかずによって夕飯迄招待されるのもしばしばでした。
馬師は例え、我々に何かの仕事を与えるとすると、これ以上の報酬が頂いていました。ある日、表演会の日の晩に両師匠が出掛ける予定があって、呉英華師は10元のお金を出して「兄弟二人でとこかで食事しなさいよ!タバコは駄目よ!」と言い残して、夫と出掛けられました。両師は自分にとって、両親と代わりが有りませんでしたね。