では、やっはり董勁と言う言葉はややこしくてわかりづらいものだと誰もがそう言っていまいますね。それもそうです。一般的に初心者には私達が顶、?患、丢、抗の話しをしますが、この四病をなくすには良き環境づくりが大切です。例えば、毎日のようにご家族と15分でも30分でも推手出来るのでしょうかと、私はこれを考えているといつものように学生の皆様にご家族に推手を進めるようにしています。現在のところでは、会社の社員さんに太極四正推手を導入している学生も複数いますね。私達のまた董勁していない体で太極拳をどれほど修練しても推手がなければ顶、?患、丢、抗の確認が中々出来ないはずです。実は本当に董勁した人間でしたら推手をしなくても太極拳の修練をすれば自然と太極勁が上達出来るようになりますが、私もまだこのような段階に達していないことは、正直に認めたいですね。つまり、「神明」段階に達していないことです。顶、?患、丢、抗という四病の状態がかなり目立たなくなった段階ではじめて人が迷い始めますね。相手様には何もわからない小さな動きで相手の手と一瞬の間に切ってみましょうかと、当然のように大きく相手の手から離れてしまえば「丢」となり、手の早そうな若い方はこの一瞬の「丢」きっと見逃さずに攻めてきますね。だから、若い方々が絶対にわからない本当に本当に小さな「丢」のことを、董勁直前の「断」と言うかなり迷いの段階が来ます。当然、この「断」は誰もがわからないと言いたいですが、本当に体が柔らかく(ふにゃふにゃ太極拳は別論)、秘皮膚の条件反射も出来ている人間であれば、「断」も誤魔化せないはずです。かつて、自分が「断」を馬岳梁師の前で使おうと試みたのですが、使う前に飛ばされたことがありましたね。でも、その時に馬師より、「董勁」がそんなに遠くないかもとのコメントがございました。
でも、非常に残念な話しですが、この愚か者は今日になってもまだ「董勁」レベルに達していないような気がします。太極勁の道のりは長いですね。
董勁と言う言葉続き
2014年2月27日