旧 太極拳よもやま話 未分類

老子道徳経⑥の説明続き

2013年4月6日

第五十八章

国が簡素で寛大に治められるとき、人々は誠実で正直である。

国が無上に猛烈な取り調べによって治められるとき、

人々は誤りやすく、不正直になる。

不運なときに、幸運があらわれ、幸運なときに、不運がひそんでいる。

誰れが最後の正しさを決定することができるのか。

あるいは、最後の正しさというのはいったいあるのだろうか。

正しさがうそに変わると、善は邪悪に変わる。

これは長らく人々を困惑させてきた。

賢者はものを扱うとき、自分の考えをしっかりともっているが、

しかし、鋭くはない。

彼は純粋であるが、害を及ぼすことはない。

彼はまっすぐであるが、激することはない。

彼には光があるが、きらびやかではない。

 

第五十九章

自然に従って人々を導くには、つつましくすることが最高である。

つつましくすることは戻ることを意味し、

戻ることは、徳を積み重ねることを意味する。

徳を積み重ねれば、あらゆるものがうまく扱われる。

あらゆるものが扱われると極限に至る。

極限において人は国を治めることができる。

源にあって国を治めれば永続できる。

根を深くし、幹を固くすれば、いつまでも生きながらえることができる。

だから、大きな国を治めることは料理を準備するように簡単である。

 

第六十章

「道」が天下に普及すれば、悪はその力を失う。

それは、悪がもはや精神的力をもたないということではなく、

その力が人々を傷つけないということである。

実際、その力が人々を傷つけないばかりでなく、

まず、支配者が人々に害を及ぼさない。

どちらも傷つけることがないから、

互いに「道」によって利益が得られるのである。

 

CATEGORIES & TAGS

旧 太極拳よもやま話, 未分類,

Author:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

Links


上海鑑泉太極拳社サイト(中国語)


会員の方による鍼灸院です【完全予約制・紹介のみ】

今井秀実 師(呉式太極拳六代目弟子)による恵比寿・自由が丘・浜松の教室です。

 

表演選手を多数輩出している北海道の武術団体です。2016年より沈剛会長が定期的に指導に赴いています

推手を競技として行なう「競技推手」の研鑽を通じて伝統武術の振興を志向する、関連友好団体です

非常に熱心な会員の方による練習記録のブログです

会員の方による、筋膜リリースで姿勢を整える新宿・神楽坂の整体パーソナルサロンです

Ads

Verified by MonsterInsights