これに似た話しは何回もしております。これは腹式呼吸にも深く関わっていますし、内家拳の「丹田気」は結果的な結論に過ぎないことは言うまでもありません。
最初から、人間のお腹を動かしたりして「丹田」の場所に力を込めることは、実はいけないのですよ。これも結論から言えば「気」というものは丹田に集めることと言うよりも、内家拳の上級者は常に所謂「丹田」に気が集まっていることになります。
でも、多くの皆様を惑わす色々な理論的な話しだっと「気沈丹田」、または「意守丹田」のような言葉が沢山存在しています。
では、「気」というものをどのように預かれば良いのでしょうか。
私が初心者だった頃は、師馬岳梁、呉英華の教えでは、「気」が体のすべての部分で充満するようにと、体中のすべての無駄な力みや緊張を極力防ぐように努めなさいとのアドバイスを常に頂いていました。
初心者の皆様でしたら、このような「気」の預かり方はいかがでしょうか。
勿論、日本人の皆様は上級者の方が多いですね。もう既に「気」が自然に丹田に集まっている状態の方々はこのような処方的な話しはまったく意味がありません。一応、初心者の頃のお体の様子を思い出すことは、私にとってはいつも至福の時間になりますね。
気沈丹田ということですが
2013年6月2日