この頃の「四方山」も段々と難しい話題に入ってきましたが、あまり根拠が話しをしても致し方がないです。今後もなるべく根拠の裏付けが取れる話しを展開していきたいです。
戦える功夫と言っても私が自ら見たものか、師匠である馬と呉の話したことです。馬と呉もおよそ自らみた事しか口にしないのである程度の信憑性があることと致しましょう。
この私が見た強い人の一人目は写真の海灯法師です。写真の二指禅は彼の必殺技ですが、彼と我が師の交流で見たことのない少林拳法を見せて頂きました。その動きはまるで太極拳ですが、「開合」あり「虚領頂勁あり…、もっともびっくりしているのはすべての動いきが腰で制御し骨盤は殆ど動いていませんでした。海灯先生は馬岳梁とは互いに表敬訪問する位の中で、交流で手を交えたことは何回もあるらしいが、誰も見たことがないです。そして、どちらも勝敗をさけて相手のレベルがかなり高いと言っていました。私は海灯法師と交流するなんかとでもありませんが、写真の二指禅はそばでみていました。この姿勢で30分ですよ!!!
師馬岳梁の強さはおそらく多くのご年配の日本人の方々が体験したことがあると思います。馬の手を触るとまるで関節はないです。軟体動物のような体に対してどんなに力を振り絞って押しても無駄でした。こちらが重心がおかしくなった瞬間に無形の「太極勁」が知らないところから出て、その時手も足も体も動いていなかったです。十数メーター飛ばされることはしばしばでした・・・。
呉英華師の口述で孫式太極拳創始者の孫禄堂先生の逸話ですが、孫先生が若い頃、お弟子らに建築用ブロック(家の壁を作る部分?)を20枚用意させ、重ねてから上から手を振り下ろしたのですが、一枚も割っていなかったそうです。お弟子らは笑う人さえいたのですが、孫先生はゆうゆうと「上から7枚目を割ったぞ!」というと、お弟子らは上から一枚ずつ取り除き、第7枚目は見事に割られてしまったのです。もしも、人間の方に当たったら心臓直撃かな・・・。
最期には晩年の呉鑑泉の話しです。大道芸人の殴り合いを阻止する為に呉は間に入ったのですが、数人を軽く飛ばした後、何故か殴り合い同士が一緒になって呉に襲いかかった始末でした。外家拳達人たちでしたが、殆ど触れずに尽く飛ばされていました。当時の上海新聞の「申報」も話題にする位の大ニュースで一昔の上海人は皆知っています。ちなみに私の祖母が画家で太極拳にはまったく興味なしでしたが、この大事件は知っています。一対三十の戦いは誰も怖いでしょう。
戦える中華功夫とはいかなるもの?
2013年6月15日