張三豊氏は太極拳の創始者であることは恐らく、どの流派も否定していないですね!彼にまつわる物語も沢山残されています。でも、その多くは根拠がありません。もやは、彼は伝説的人物です。多くの小説にも触れられているように張三豊氏は、元少林寺の僧侶だったそうです。昔の少林寺僧侶というのは、貧困で倒れた人や人殺しで追われている人、クーデターが失敗し逃げ場を探す人などの溜まり場でした。人間関係が非常に複雑で出入りもしばしばでした。張三豊氏は少林を出て道士になるのも普通の話だったはずです。恐らく居心地が悪かったでしょうね。
張氏はまた、独特な方でかなりおかしいとも伝われています。その脳はあることには鈍感で、あることには非常に鋭敏でした。彼のことについて、後の医学者によって、知恵遅れではないかとの判断まで下されたことがあります。これなら、少林寺で虐めに遭ったことも考えられますね。彼は髭がかなり硬く、頭が大きいし、背中はまるで亀のようでした。彼はまた、不衛生で有名でお洋服の洗濯を怠っていました。彼は一日中必ず3回(朝、昼、晩?)も訳がわからない話しをするので、付いた渾名は三豊でありました。実は中国語での豊と狂うという意味でのもう一つのfengという字の発音が同じです。(残念ながら、yahooのブログは中国語の漢字が現わせないが)一日に三回も狂うと名付けるとあまりにも面白くないから「三豊」との道名になりました。
張氏は独特な能力を持っていました。一か月食事をしなくても平気ですが、食べる時は桶の量迄食べてしまいます。太極拳の前身である道教養生術をやりだしたら何日も寝ないで続けてしまいますが、寝ると何カ月も寝るとか・・・。太極拳を考える時間も三年かかっていたようです。(洞窟に閉じこもっていた)その間、他の道士は食事を届けに行ったが、あまり食べてくれなかったようです。張氏が創った「十三勢拳」は後に彼の弟子である王宗岳氏が太極拳と命名し、今日、我々が練習している太極拳は当時の一部分です。張氏は晩年、太極拳論を残してくださったのですが、彼は字を書くことは出来たのでしょうか?恐らく彼が伝授し他の弟子らが文書を作られたことではないかと多くの歴史学者が言っています。
本当に変わった人ですね!