これらの言い方はまことに残念ながら、私が日本で長い間プロの個人レッスンの後に呉式太極拳研究会を立ち上げたあとに知った話しです。家元の馬海龍に聞いたら元々、南派も北派もなかったとのことがわかりました。私は長い間この敏感な問題を避けて来ていますが、「四方山」ですので、自分の聞いた話や率直に感じたことならばおそらく許させるのではないかと勝手ながら呉式の派閥に触れてみたいと存じます。
幼い頃から、師呉英華は練習の合間を縫って昔話をしてくれました:「香港と北京には同門がいますよ。香港には私のお兄さんの二人、北京には全佑祖先のお弟子さんがいますよ」と、この位の話しでしたが、成人になった後に師馬岳梁より伺ったことですが、当時、呉鑑泉が宋遠橋十七世よりの「三世七太極拳」を楊式小架太極拳と上手く融合させる為に同門の王茂斋と郭松亭と相談し制定したそうです。更に馬より伺ったのは、王茂斋師は当時、呉式を制定する際に個人意見を保留し呉鑑泉の合わせたのですが、後にご自分の弟子らにお教えする際はご自分の考えのままだったそうです。北京の王茂斋師の太極拳は家元の呉式108式よりも若干長く、左退步跨虎と右退步跨虎がある程、王茂斋師の細かな性格が随所現われるようになっています。そして、中国呉式太極拳競技セットを制定したのが王茂斋師の一人のお弟子さんだと伺っております。
香港は違う発展の道筋で来られました。叔父呉公儀は多くの外国人や初心者に教える為に、太極拳を一つひとつを固定化したタントーに変化し覚えさせる方針で「方架太極拳」が誕生しました。上海の一部の人間もこれを知っております。二人の叔父の子供はいずれ、先天的な病気にかかっており、長生き出来なかったことで、1980年代に香港呉式協会の方が上海を尋ね、失った呉式太極剣や刀、槍などを馬岳梁師に依頼し、動画撮影で復習資料を製作した次代でございます。その時のビデオ撮影には私も協力いたしました。
結果、基本拳は南下しなかった王茂斋師が北京で色々な方に教えていたことで今日に北京呉式になったと思います。そして、香港の呉式は家元の呉公儀師と呉公藻師の伝授であることは間違いないですが、それぞれの事情でどれ程の内容で保たれていることはあまり知りません。でも、長い間に渡り、中国と言う国の動乱の中で呉式太極拳の技が失ってしまったとしても仕方がない話しで、個々の努力不足とは到底考えられないことでありましょう。そして、開祖呉鑑泉師は生涯かけてこの呉式太極拳を試行錯誤し完成させたわけですので晩年の呉式の業が北京の方々が知らなくても当たり前の話しです。王茂斋師は本当にご謙遜で「呉式」と名乗ってくださいましたが、おとうと弟子の呉鑑泉が呉式を制定したわけで全佑の弟子で楊式の子孫と名乗っても誰も文句は言えないでしょう。
呉式太極拳の家元では一般的に以下の技内容がございます。多くの武道愛好家がご参考になって頂きたくアップさせて頂きます
内功:太?巽浑元桩功、五行内功、内功八式、太?巽功阴?飜二十四法。
拳路:精简呉式太?巽拳、慢架、快架。
推手:単人又は双人の五種類単手法、三種類の入門双手法。双人練習の長単手、上中下三盘十三式手法,六種類の活步推手,散手烂采花。
太?巽器械:太?巽刀、太?巽乾坤剑、太?巽七星剑、太?巽连环剑、太?巽双剑、太?巽六?灑粘刺对剑、太?巽二十四枪、太?巽救命三枪、太?巽十三大枪、太?巽缠枪(即二路粘杆)、粘黏四枪、粘?偕四枪、四散枪などがあります。