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道教の「真」という言葉

2013年10月10日

 日本の大学で哲学の勉強をされた方だと多なり少ない道教に触れたことがあると思います。実は道教の中で「真」という言葉がよく使われていました。武侠小説で功夫の秘訣のことを「九陰真経」と言い、道士が使う火のことを「三味真火」、有名な道士様は「重陽真人」や「長春真人」などの「道号」が与えられ、長い間気功修練により習得した丹田気のことを「真気」というふうに言われています。勿論、このような言葉は金庸小説や梁羽生小説から沢山出てきますが、実際の太極拳や気功修練で所謂「真気」を得ることがいかに難しいかは長い間修練し続ける者であってもはなかなか理解出来ないです。気を本当の意味で感じるようになることは様々な身体的要素が備わっていないと実現出来ないですし、実際に長い間修練しても多くの方がおっしゃっている「内丹」というものは今日では殆ど、皆無に等しいです。
 本来ならば、このように物事を言い切ることはあまりにも道教的な発想ではありませんし、本人も出来る限り道教「内丹」というものが現実になって欲しいものです。かつてから「内丹」の修練が成功すれば、不老不死がほぼ約束されているようなものでした。おそらく、誰でも幼い頃に一度は不老不死の夢を見たことがあるのではないかと思いますね。死ぬことは誰にとっても恐い話しです。なにしろ、誰も死んだことがないからですね。臨死体験をしたことのある方はその後の人生が180度転換することがかなり多いと心理学的な解釈は一般常識ですが、殆どの人は臨死体験なんかするわけがありませんので死の恐怖は誰でも感じるはずです。ということで中国道教では「煉丹術」を用いて「不老不死」への憧れを期待を漲らせていました。だが、不老不死を実現した人は一人もいませんでした。人間は従来、死ぬように出来ているからですね。昨今も医学博士達が不老不死の研究を続けていますが、いつか、例えば不老不死が実現したにしても地球上は沢山の新たな問題も浮き彫りになってきます。例えば、皆が不老不死になったら体力的に社会を支えることは可能でしょうか。人間が死ななければ、子供も生めなくなりますね。(地球爆発)たったの数十年で全世界が老人だらけに・・・。
 道教が考えていた不老不死はどちらかというと無責任な発想ですし、「内丹修練」がかなり成功しているはずの太極拳創始者張三豊であっても、歴史記録によれば百四十六歳の寿命でしたね。
 わたくしは道教の「真人」という考えを基本的に賛同しておりません。恐らくこれは封建社会での人種差別的な言葉ではないかと思います。道教と関わっていて毎日のように祈りを捧げ、世間と殆ど関わらない生活で静かな環境での修練は今日のストレスだらけの社会人に置かれては羨ましい限りでしょうが、一人の社会から完全に遊離している人間が近代社会にはあまり必要としないですね。そして、現在の日本社会ですが、百歳を超える方は万単位になっているようです。中に何%が太極拳修練者なのかは恐らく、統計していません。そもそも、太極拳修練者(自分を含む)は人の上に立つ人間でも何でもありません。この国ではおよそ400万人の太極拳人口で大手の連盟が牽引、雑草である私が毎日のように四方山話を書き続けれおります。連盟も私も「真人」になれないですが、商売の為に「真人」を装っても結果的に人々に健康を与えるという事実がなければ、ただの「偽善者」に過ぎないです。
 人々に不老不死を与えることは、私は無理ですが、研究会の皆様にはいつも一番楽しい死に方についてお尋ねしております。皆様の答えは大体、「ばったんきゅう」がよろしいようです。健康で苦痛がなく上手く死んでいけば一番よいでしょうね。
 そろそろ、膝や腰が痛む太極拳は止めましょう。

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