老子道徳経⑦の説明続き" /> 老子道徳経⑦の説明続き | 呉式太極拳研究会

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老子道徳経⑦の説明続き

2013年4月7日

第六十七章

世間の人は、私が決まったものを出さず、何ものもあらわしていないという。

私が何ものもあらわしていないのは、決まったものを出していないからである。

もし何かをあらわしていたら、私はもはや決まったものをあらわさないだろう。

私が価値あるものとしてもっている三つの宝がある。

第一は慈しみであり、

第二は倹約であり、

第三は天下の人々の先頭に立つことを望まないことである。

慈しみがあるから勇気を出すことができ、

倹約するから広く施しをすることができ、

天下の人の先頭に立たないから、自分の能力の充分な成長をとげることができる。

ところが、現在、人々は勇敢であろうとして、慈しみをもたない。

広く施そうとするが、倹約はしない。

自分の能力の充分な成長を望んで、天下の先頭に立つことにあこがれる。

しかし、実際に死があるだけだ。

戦争にあっても、慈しみによって勝利を得る。

防衛にあっても、うまく防ぐことができる。

この種の人は天によって救われ、慈しみによって護られる。

 

第六十八章

すぐれた戦士は荒々しくない。

すぐれた闘士は怒気をあらわさない。

すぐれた勝利者は競争をしない。

すぐれた指導者は人々の前でつつましい。

これは争わない「徳」といわれ、他人の力をうまく使うといわれる。

これは空間と時間をこえ、天の至上さと匹敵する。

 

第六十九章

戦術について次のことばがある。

「わがほうは最初に敵を攻撃せず、攻撃されてから行動する。」

「わがほうは一寸でも進もうとはせず、一尺でも後退するのだ。」

これは作戦のない作戦、武器のない武器をとり、敵のない敵を襲い、

兵器のない兵器を運ぶといわれる。

敵をあなどるほど大きな禍いはない。

敵をあなどるということは、

慈しみ、倹約、そして天下の先頭に立とうと思わない教えを破ることである。

だから、二つの軍隊が交戦するとき、慈しみをもっている方が勝利をしめる。

 

第七十章

私の言葉を理解し、それに従うのは難しくない。

しかし、天下に誰れもそれを理解し、従うことのできる者はいない。

何故ならば、言葉は源からでており、行為には行う人がいるからだ。

これがわからないで、私を理解することはできない。

私を理解できなければできないほど、私はますます価値あるものとなる。

だから、賢人はぼろぼろの衣服の下に貴重な宝物をかくしている。

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