旧 太極拳よもやま話

年末の哀愁

2013年12月28日

 私はこの日本に来てから、いつものように年末になる些か哀愁し始めます。これは中国にいった頃にいつかは異種格闘技に出て太極拳をアピールする夢から来るものです。今日になってこれは本当に夢になってしまいましたし、自分が育てている若い方も健康とある程度のお楽しみがメインです。太極拳が異種格闘技に勝てることはもはや今日の誰もが信じたくないです。これで私の若い頃の夢は叩かれてしまい太極拳は強い拳法であるとのアピールはもはやこの老いぼれには何も出来ないままでいずれは自分の人生を終えるしかありません。特に年末になるとどのテレビ番組も異種格闘技の宣伝をしますし、それぞれの武道のプロの皆様の意気込みを語ったり、最後の練習風景を公開したりして紅白歌合戦と変わらぬ賑やかさを見せます。今年はさらに有名な美人モデルボクサーも出場して一層の楽しみをほのめかしています。これでいつものように私の哀愁は増します。理由は年末の異種格闘技にはいつになっても「太極」という文字出てこないからです。私は日本に来てからは異種格闘技に色々とお調べさせて頂きました。自分がいつか異種格闘技に出場可能かどうかと、日本の太極拳連盟に手紙にてお問い合わせもしました。勿論のように出場させて頂けるならば連盟の会費も喜んで納めるとも言及し若き沈はボコボコされる覚悟でいましたが、残念ながら問い合わせはいずれもお返事がありませんでした。その後他の武道にも問い合わせしましたが、今日の私が持つ日本国常識から見てもかつての外人である沈はいかに幼稚であったかがわかります。
 でも、かつての太極拳がかなり強い武道であることは否定出来ない事実です。当は呉公儀先生は香港で白鶴拳の陳克夫先生と立派に戦いましたし、二回の世界大戦中に太極修練者は各国の力士の挑戦を跳ね返したことも色々な国の歴史資料に記載される程に周知されています。当派創始者呉鑑泉先生は多くの武道家や他派太極拳先生より「聖手」との呼び名を頂く程に多くの武道の中でもトップであることが現在も人々の話題に及んでいます。更なる先輩である楊露禅先生は昔の北京ですべての挑戦者を跳ね返って「楊無敵」と呼ばれていた記憶もかなり新しいものですし、近代では当派馬岳梁先生が西ドイツ重量級ボックサーとの交流で手を触れずに相手に尻餅を着かせたことが当該国有名紙のトップで報道された事実があり、よって現在もドイツやオランダと欧州各国に呉式太極拳を戦える武道として修練しています。欧州諸国も現在、経済状況があまりうるわしくない状況が続いていますが中国の太極拳に対してはアジア人に負けずとも劣らぬ熱意お持っています。太極勁の習得は時間かかりすぎることと中国の国家事情で文化遺産失伝のダブルパンチで太極拳自体がノックダウンされる寸前であることでいつも私の哀愁を誘っています。
 
 太極拳はどの武道にも勝てる輝かしい時代があった。
 数十年前迄、太極拳を強い武道として修練し続ける者が多かった。
 踊りや体操化された太極拳の正当化に勝手に煩悩を抱えている人々を癒してみたい。

 少しでもこのような私の哀愁を皆様と分かち合いたいのですが、希望を見いだせない哀愁にただただ落ち込むことはなるべく避けたいです。
 太極拳を生んだ中国という国の国民性がそもそも太極思想をズタズタにしてしまったのではないかと思うようになったのが最近のことです。
 自分が修練し続けて来た武道が弱いものであることは赤っ恥の極めですが、自分もこの中の弱い一人と思うと足が自然にに公園に向かいます…。練習です。

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