私が中国を離れた頃の中国人口は約十一億でした。20数年でおそらく三億は増えましたね。
その当時では、中国の「武術人口」は1億との統計が出ていましたが、その中では約五千万人は「太極拳」でした。中国で最も多くの人に愛されている「武術」だったそうです。更に、この中の8割が所謂「簡化太極拳
」でした。思い起こすと、「簡化太極拳」は共産中国の一つの国家プログラムのようなものでした。共産中国の最高責任者である毛沢東は農民の出身で、彼は難しい中国語古文の勉強がかなり苦手でした。毛は若い頃に大変な苦労をして古代史を勉強し、いつか偉くなったら漢字を簡単にすることで決心したわけです。他の中国高官も農民出身や庶民出身の者が多く、当然のように漢字の「簡化」(簡単化)が忽ち進められました。共産中国になってからは実に漢字の改革が三度も行われてきましたよ。当時の年寄りの話しでは、「わしは今の本が読めない」とのことが多いです。「簡化漢字」で育った私は現在、香港版の「金庸小説」を読む時はまだ苦労していますが、一部分の個人の都合で言語の形まで変えてしまうことはおそらく世界でも前代未聞ですね。
同じくこのような発想で行われていたのは中国伝統功夫に関する改革であります。特に太極拳という独特な分野に関しては、長い歴史の中で色々な葛藤があり、道教との絡みは独裁者がいつも一番悩みの種にしています。確かに、伝統太極拳という独特なものはかつて、少人数の中で継承され、高嶺の花とのイメージもありました。その為に、楊式太極拳創始者の楊露蝉大師は一般人の為に楊式大架を編集してからは現在、正解の太極拳修練者の約四割が楊式になっているそうです。共産中国は割りと難しい伝統太極拳の動きを見て当然のように古い漢字を思い出してしまいますね。そして、人民中国の初期では庶民利益至上主義であり、一般人が簡単に色々な学ぶ語が出来れば、豊かの象徴であることを、諸資本主義国家へアピールすることも大きいな狙いでした。「簡化太極拳」が出来た背景もその新中国が豊かになったよとの国家プログラムの一環に過ぎません。勿論、太極拳をこのように5千万人程が練習する位の巨大組織にするには伝統太極拳である民間組織だけでは、無理ですし、1950年台当時は、伝統文化級人間国宝に対する迫害は既に始まっていた為、とても、国家プログラムに参加出来そうもございませんでした。当時の中国で国家プログラムに参加出来る者は少なくとも共産党員の資格が必要でしたが、民間人は不可能ですね。
そして、漢字と同じように誰でも読める(出来る)とのことを大前提にしていた為、太極拳もとことん簡単化にしなければなりませんね。結果的に5000万人とも8000万人とも言われている太極拳人口の殆どは「簡化太極拳」のお陰かもしれません。当然のように人民中国の海外向けのアピールも実に多くの国の方々を騙し続けてきたし、中国国民に対しては海外情報の封鎖をじつに数十年にも続けております。
話しが変わりますが、「簡化太極拳」、「競技太極拳」で膝や背中を壊してしまった話は、上海の時から今日に至る迄、30数年間に渡って伺い続けていますが、もう呆れましたね。
写真:中国国務院総理 温家宝
十一億の中の一億の半分
2013年8月30日