太極推手はかつて道教の中での一種の禅問答のような健康運動であり、その一番大きな目的は健康と長寿でした。当然、太極拳というふうに民間に流れてきたことは多くの流派でいくつの説もあるし、中には太極拳自体が道教とあまり関係ないと解釈している流派もいます。勿論、これによって太極拳は言うまでもなく推手が武器も道教本来の宗旨より遊離することが避けられないです。これで現在の多種多様な太極拳や推手が百花繚乱に咲き乱れ、新種太極拳や推手も数数えない程存在します。わたくしは積極的に様々な推手との交流お行っており、自身では道教芸術である推手と言う項目は自分自身を謙って相手を尊重しない限り自分の推手太極勁も進歩出来ないと、推手を教わった日から二人の師匠より教わりました。勿論、わたくしは人間学的にも心理学的にも太極推手の素晴らしさを知っており、自分で太極拳研究会では推手を交友の一つの手段としても用いられています。
しかし、太極推手は実に地域性や個人によって千差万別です。同じ流派の方に中でも実力のことはさって於いて正確によって推手が大分違って来ますし、逆にある特定の方と推手をするとその性格も簡単に分かってしまいますね。私は現在東京に在住しておりますが、何か故郷上海へ用がある時はいつも決まって周展芳クラス馬江麟師クラスの者と一緒に練習しています。最近、周展芳クラスでは多くの者も推手が性格との認識が強いです。勿論、例え家元のクラスとは言えども皆さんが常識的に推手をしているとは限りません。現在のところで呉式太極拳家元に弟子入りしている者どもや一般の学生さんは実に半分位が他の功夫からの転入者です。当然のように推手時は色々なわけがわからない技も出ますよ。10月に私用で上海に一週間の滞在中に多くの少林拳や蔡李佛より転入された者とほぼ毎日のように推手をしていまして穏やかに推手をする方もいれば中には倒れる程やってしまうこともあります。でも、立ち上がったら何事もなく素直に自分のいけないところを反省していましたね。力尽く推手はいけない訳ではないですが、年寄りや女性に対して把握できれば宜しいです。先般の上海の旅の時も私は紹介で80歳近い方と推手をしましたが、実力と言ったら現在私の研究会の学生さんの方が上です。でも、私は全く抵抗せずにすべての力を後ろへ戻し気味で後ろ足一本で決して相手とぶつかりませんでした。回りは私のこのようなお年寄りに面子を差し上げたことを絶賛していましたが、私はそうではなく自分もいつかこの年になると考えたからです。力が全然残っていない数十年後の自分が人様との推手で何とか立てるのかと・・・、結構な利己主義者でございますね。但し、このような自分自身を80歳90歳という設定では普段は中々このような推手チャンスが恵まれてこないです。わたくしは実に老人や女性との推手を大切にしております。
太極推手は性格であることはきっと多くの同僚も感じているはずですね。そして、推手の種類によっても流派の個性が現れてきます。当呉式太極拳は基本的宋遠橋17世より多くの道教太極理論を身につけ太極推手を主に柔化を目指しております。但し、地域によって太極十三式推手や活歩推手の六つのステップなどの多くの技が失伝したことによって呉式も力尽くの推手が多々存在しております。そして、現在のところでは王宗岳伝授の「八門五歩十三勢」は実に楊式と呉式の二つの流派のひと握りの者しか修練していないですし、推手では太極拳をベースとするではなくなってもおかしくないです。
今日の推手の種類で言うとおよそ、三つで分かれていますが、まずは太極勁的推手ですが太極勁というものはかなり修練しづらいことから身に付く者も少なく、自分を含む多くの方が生涯追求している大きな目標でもあります。次にテクニック型ですが、若くて反射神経も抜群で手の速さで勝負をする推手も中国では多く見られます。しかし、このような推手は年齢とともに体の衰弱に影響され段々と通用しなくなることも自然界の規律であり勝ち続けることの確率もあまり高いとはいえません。最後に言及したいのが力型推手です。武道の為でしたら柔道や相撲の方が十分に楽しいではないでしょうか。幕内になって三役の可能正もあり、柔道でしたら五輪でメダルも夢ではないですが、太極推手だと国内が正式な試合がなく、中国では毎年行っていますが、体格のいい者ばっかりで弱い人々では無理ですね。
太極推手から見る人間の性格
2013年12月8日