人間は霊長類の中の高級動物であることは今日の世界では誰でも認めています。数年前に世界トップ宗教のトップ人物も部分的に人間の進化論を認めたことで波紋になったのですが、少なくともこの25年間日本で生活している中でも日本人の身体能力が朗らかに変わっていることがわかります。近年、世界の第一球技であるサッカーでは日本はアジアの中でも中レベル位のチームからワールドカップの常連となり、世界ビッククラブでの活躍も著しいです。他のスポーツに於いても日本人がかつてでは信じ難い成績をおさめてきました。これは当然のように人間の身体能力が上がっていることとしか考えられないです。世界的に考えると例えば体操種目では今日の女子先週レベルは二〇年程前の男子選手よりも高く、勿論のように男子選手の技何かはかつてではとても信じ難いものでありますね。100メートルの世界記録はどこまで伸びるのかはじつに未知の領域であり、人間の機能力はどこまで伸びるとかは不可知です。そして、人間はかつてよりも長生きを手に入れているようですが、ここで問いたいの長生きして健康で楽しいでしょうかということです。わたくしがお付き合いの老人ホームの皆様を見ていると時々、辛くなることもある位年寄りの皆様は決して幸せに生きているとは思えないです。
人類と霊長類と比べれば一番大きな違いは恐らく直立歩行ではないかと思います。勿論、猿科の一部分の動物も部分的に直立歩行が可能ですが、でも、基本的に霊長類は日本足で歩いていますね。手足分担により人間の手は他の動物と比べれば器用になり、様々な複雑な作業が出来るようになりまいた。でも、足はまた足で走りながらあれほど高度なサッカーのドリブルやシュートが出来ますね。手足だけではなく人間全体のレベルが上がってきましたよ。体操では「シライ」という名前の技は三つもついていますね。日光猿軍団の体操も見たことがありますが、はっきり申し上げるとお猿さんの体操能力は人間とあまり変わらないような気がしてやみません。少なくとも私のような運動神経が悪い人間よりは猿の方がよく動きますね・・・。少し違う角度から見てみると人間とお猿さんのどこが違いますのでしょうかね。お猿さんは恐らく行動な「シライ」技は出来かねますが、でも、森の中での難しい跳躍や他の機敏な動きは人間も無理でしょうね。私的には脳の指揮能力が違うとのことが大きく左右しているのではないかと思います。でも、人間は空中に4回も一瞬にして捻られて綺麗に着地したということは、その一瞬のすべての動きが脳が一々コントロールしているとは考えられず、どちらかというと脳の条件反射的なコントロールになることは、私達の太極拳の分野も同じです。
言い換えれば近頃に申してきた「太極勁」というものも同じことになります。現在のところでは一般の方々一部分のプロの方を中心に「太極勁」の習得方法を説明しはじめていますが、このような僅かな力で相手を崩していたり、相手に完全に関節を決められてもギリギリで軽く逃がしたり・・・、または推手の時に手と手が触った瞬間に相手が空気に浮かんでいる様子などはトータルして「太極勁」言いますが、実際に太極勁というものを使うよりも自然に溢れてくるとの表現がもっと相応しいではないかと感じております。体操と同じく人間の脳の一瞬の条件反射でありますね。そして、太極勁と体操の違いですが、体操は人間の筋力と脳の一瞬の条件反射との癒合で綺麗な技を決めていきますが、太極勁とは人間の柔らかくて体内の様々な要素がきちんとバランスが取れている健康体と脳的条件反射の融合体のようなものであります。勿論のように、太極勁の習得は体操と同じく繰り返し練習するしかないですし、正しい練習ということも大切になってきます。体操トップ選手は世界のどこの国にも数人しかいないと似ていますが、太極勁は弱者という設定が設けてあり、僅かな力と言う前提条件が突きつけられている関係で体操よりも遥かに習得が難しいです。これは理屈的な条件ならわかりやすいですが、弱者の設定の中で精神状態の安定との折衝も度々経験しており弱い方々が太極勁を習得出来る割合も実はあまり高くありません。
私は四方山を通して太極勁の習得が至難の技であることをずっと発信し続けてまいりましたが、結果的に太極勁を習得していた数人の先代の者を見てみると、いずれの者も意思の強い人間で身体能力も結構よろしく、但し、謙っていつものように人間的な自分の弱点を素直に認める人間像でした。
太極勁の修練でその人間が新たな境地(人生そのもの)を発掘することが出来ます。
霊長類と人間
2013年12月16日