日本国では太極拳と言ったら華やかなイメージで、綺麗な太極服を身に纏い伸びやかな動きで芸術的な中国民族音楽に伴い舞っているスポーツと誰もが思いますが、私が本日、申し上げている苦難史は他でもなく、一応、太極拳の発祥の地と一般的に認められている隣国の中国のこの百年近くの出来事です。現在の人民中国は1949年に出来たものですので60年を超えましたが
、残りの30数年の間には第二次世界大戦が挟んでおり、中華民国の当時の国家管理も万全とは言えないのが世界的な歴史学者の間では認められています。中国がまだ封建社会の末期である清朝の頃に世間に広がるまでは「内家拳」と言うふうに言われており、謂わば、近代語に直すと門外不出の秘伝でございます。楊式太極拳創始者である楊露禅師が楊式大架太極拳を世に広げたのもその頃でしたね。太極拳は誰がやっても難しくないように編集したのもその頃がはじめてではないかと思います。当時ではまだ孫式太極拳も呉式太極拳もなく、武式太極拳もまだ形が決定していなかったと思われます。各家の太極拳の秘伝的な技は大体、お金の額で教える内容が決められるようでしたね。勿論、今日も同じですよね。世の中はそもそも、ただで物を頂いたり、教えて頂いたりと言った甘い話しはないですね。
それもそうですね。世界のどの国も理想郷である共産主義や宗教の世界の天国や極楽郷でない限り、何かを得る為ではそれと同等価値またはこれ以上に支払うことが地球上の規則として知られています。でも、かつての太極拳と言ったら大変貴重な拳法で太極拳巨匠の皆になると普通に伝授するだけで相当なお金が動いていました。いつでどのように生まれた言い方なのかははっきりした出典が掴んでいないですが、中国武術では「天下功夫出少林」と、「太極、猴拳克少林」との二つの言い方がありますね。私は猴拳の方と交流したことがあり、非常に対応しにくい拳法であることはよくわかりましたね。早いし予想外の攻撃をするし、そして、こちらが何かを引っ掛けようと思うと逃げ足が速くて、八卦掌の上手い先生みたいにすぐに後ろに回されたりして、なかなか勝てない拳法です。今日の太極拳で少林拳法と戦っても負けるのが見え見えですが、かつてでは太極拳でもって少林拳法に勝ってしまった事例が多く、太極拳は当然のように忽ち金持ち様の求める目標の一つになりますね。清朝の時に楊式太極拳の楊露禅先生が中国北京で楊無敵と呼ばれる程多くのの外家拳ベテランを倒したのかは私が言う必要もないですが、おそらくこれで太極拳の資産価値もどんどんと上がったような気がします。勿論、これで太極拳のなになにを教えるにはおいくらとの習慣が付いてしまったのではないかと思います。当然、武士は武力を売るか拳法を教えるかで生計を立てなければなりませんので、お金を頂くことに関しては私も同じですし、特に問題も感じてきませんでした。このようにして中国は清朝から民国へと移り、太極拳もかなり発展し続けることになりましたね。当派の呉式太極拳も中華民国の初めに出来たのです。当派よりももう少し後から出来たのが孫式太極拳であります。これで当時の中国社会では陳、楊、武、呉、孫の五つの流派だけだったことが幾人の太極拳先人の言い伝えで学習しておりますが、また、当時の中国では本当に実力社会で強い人間でしたら自然に門下生が増えるわけでしたが、しかし、一般の方々や貧しい方々は太極拳や何かの拳法を身に着けようと思うと至難の技でありました。
1949年からは中国は共産国となり、人々の意識はかなり無理に変えられたことは事実です。1950年代に競技種目である長拳、南拳と太極拳の誕生で確かに多くの貧しい方や一般人の方が簡単に武術教室を申し込めば武道が安く学ぶことが出来るようになったのです。太極拳が封建社会から一歩離脱したことは私は今日でも素晴らしいと思っております。が、と同時に当時の中国政府は宗教迫害を加速し、少林と太極がそれぞれ仏教と道教との関わりで伝統少林拳や太極拳が地獄行きでしたね。少林僧侶と太極拳巨匠の皆は投獄ざたを食らって、命を簡単に落としてしまった先生もかず数えない程いました。それこそ一つの極端からもう一つの極端へ、ですね。
中国は後に1966年に更なる動乱である文化革命が10年間も続き、1980年代の初頭でやっと伝統太極拳が一般社会で普及し始めたのです。もう既に二十年近くのブランクがありましたね。私みたいに密かに伝統の先生に着いて修練していた者もおりますが、あまり公に話す勇気もありませんでしたね。
一方、一般人が簡単に練習出来る簡化太極拳は後に世界の色々な国に輸入され、理論化が一定レベル迄しかない為、現在は世界中で練習されている競技太極拳はかなりの片ズレが生じていることは、中国国内の競技太極拳と比べれば一目瞭然です。
近代太極拳の苦難史
2014年2月20日