旧 太極拳よもやま話 未分類

糧票

2013年9月17日

 これは中国語の言葉です。元々、中国語では「粮票」という漢字になります。これは共産中国が1955年から1993までに民に対して食糧制限をする為に発行したものです。勿論、食糧だけではなく、砂糖、肉、卵、豆乳製品、煙草なども配給でした。はっきり申し上げますと今の北朝鮮とあまり変わらなかったのです。
 これは太極拳となんの関係があるのかと言われますと、何も関係ないようで密接な関係があります。当時のかなりの親御さんは子供達に学校での体育に対して支持していませんでしたが、その原因は単純でスポーツをすると食欲旺盛で配給されている食糧では足りなくなります。当時、一般人の栄養が悪く、運動をすると何となくご飯という主食が進みます。今日の先進医学で分析すると沢山の糖尿病患者が生まれても仕方がない話しですね。
 当時の学校では体育の授業をさぼる子供が多く、親まで積極的に子供に運動させないことが多く見られていました。特に改革開放後は毎年のように受験戦争が勃発し、余分な食糧の消耗を抑えることと、体育授業の時間を利用し受験勉強に専念させることを考えた親は、裏道で知人の医者を通じて子供の嘘の病気証明で体育授業を休ませることもかなり盛んでした。これは中国語で「太極拳免修」という名詞で現しています。当時の学校では、しっかりした子供は先生にこのような交渉もしていました。学校の運動会で中距離が得意とする某生徒さんに大会の出場をお願いしたのですが、その生徒さんは「内の親が走ると多く食べるから許可してくれない。どうしてもと言うなら糧票をくれ・・・」というふうに交渉していました。実際、当時の学校では「糧票」を長距離を走る生徒さんに配ることもありました。
 これは、人類が自分自身の利益で行われた当たり前の行動ですね。飯を沢山食っておいて、疲れて、その分の時間を受験勉強で有名大学でも受かったら最高でしょう。大学卒業したら人の肩の上に立つ人間になりますし、当然のように生涯の資本で人生の保証でもあります。人類は当たり前のように自分のい生活を大切にし、豊かになることは誰でも憧れていますよね。
 つい、中国でご飯が少し多く食べてしまう太極拳や気功も人気になったのが1980年代の辺りでした。理由は簡単です。日々の糧になれるからですよ!そして、海外へ行くことがかなり流行し始めた関係で、気功や太極拳修練者も急ピッチで増えました。特に、当時の世界の金持ちというイメージが強い日本人が太極拳や気功が大好きとの説も中国の新聞の社説になる位に大きな話題になっていました。
 その当時、朝は公園で日本留学情報の交換、昼間はどこかの指圧や気功、または太極拳教室での猛特訓。(いつ日本に来られるのか分からないからです)夜は日本語の教室が大人気でしたね。
 私ですか?日本に来てから五十音から覚えたのですよ。
 ところで、数人の当時の知人が約3~4ヶ月位に太極拳教室に通った後に私よりも先に日本に渡りました。現在、太極拳を教えているかどうかはわかりませんね。

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