これは中国語の四字熟語でございます。一般的には負けをなんだかの方式で装って、相手が油断した時に逆転する武道のことをも指します。一番有名なのはおそらく、酔拳でありましょう。酔った振りをして相手に油断させ、思わぬ手で相手を倒すのです。他には槍術の中の「回馬槍」や少林拳法の地趟拳などが挙げられます。地趟拳は最初から地面に横たわっていて、負けているようですが、人が近づくと急に立ち上がったり、または寝たままで色々な思わぬ関節技で人を倒したり・・・。一般的には近づけない訳ですね。「敗中求勝」の武道はその技がある程度しらないと実に勝つことが難しいですね。
何故か大極拳も人によっては敗中求勝の術というふうに言っている場合もあります。これは一般的に完全に関節が決められた時に技ではなく軟らかさで関節技を躱すことが出来ますとか、喉が絞められている時に軟らかさで相手の締め付けを躱しますとか・・・。勿論、これらはいずれも大極の中の最上級の技ですし、私は以上の二つはまた完全に出来る訳ではありません。(体の大きい者や圧倒的に力で負ける者は無理)自分の人生の中で見た大極大師の中でも師馬岳梁はおそらく完璧に出来ていたはずですね。他の大先生もあまりの力差でしたら「大極勁」でなんともならない場合が殆どだと思います。自分も考えてみると大極修練は39年目に入りましたが、あまりの力持ちが突っ込んでくると自分も一瞬、力で抵抗しますね。当然、力では自分は自信がありませんので、一瞬抵抗しても無駄ですので素早く躱すしかないですね。これならば、少なくとも粘、連、黏、随、不頂丢の五つの基本太極勁の修練はまだ完全に出来ていません。そして、他の中国拳法の方との交流の中でも、相手が急に一瞬繋がっている勁を切って、また素早く攻めてくる場合の対応もはっきり言って上手く出来ていませんから、最上級の太極勁で求められるミクロの世界での条件反射とかなり小さい半径によるその時その時の一瞬の躱しは、20年~30年後の自分なら身につくことは可能でしょうか。この世界の太極勁は師馬岳梁の場合は少なくとも50代で完成していたはずですが、恥ずかしい話しで自分も現在50になりましたが、少なくとも師には30年から40年程遅れています。実に悲しい現実ですね。
私がこのように自分の推手の弱点などを公の「四方山」の場で言及すると、数人の親友で「四方山」の忠実な読者からは絶えず警告が来ますね。これなら、今度貴方の弱点を皆が突いてくるのではありませんでしょうか・・・。確かにそうですね。でも、現在の私の太極勁はこの位のものですね。いつか推手の交流で他の流派や他拳法にでも負けてしまったら、私はいつでも謙虚に自分の実力不足を素直に認めることを覚悟していますし、そして、それをバネにして太極勁の修練にさらなる努力と修行をし続けたいと思います。ということで自分の弱点をばらしても何も心配がありません。
実際、当大極拳研究会の練習の中でも、自分はプロから初心者を問わず、きちんと一人ひとりと推手をしております。ご年配の方にも力のある者から身を守る方法を自分の体を差し出して練習して差し上げています。若い方には関節を完全に任せて、完全に決められている状態での躱し方をも教えています。そして、体の硬直や他の問題点を自ら作り、学生に押し出されてしまうこともしばしばございますね、そういう時は自分ではプライドを無くし、学生の訓練の為にはどのような手段も用いております。そして、本当の窮屈な時点でも学生に攻めてもらっていますね。勿論、これは自分の太極勁の修練ににもなりますし、学生の訓練にも効果的です。
とにかく、「敗中求勝」的な大極勁を目指すには謙る心がなければ、成し遂げることが有り得ないです。太極的敗中求勝は弱者の勉強と、人々と共に進歩する気持ちがなければ、いつになっても身に着くことは不可能でありましょう。