あの中国は日本国と違い、人口が非常に多いです。そして、沢山の少数民族がいて生活習慣も服装も、言語も漢民族とは別の人種として認識せざろうをえないです。その多民族国の特有な風土とでも言いましょうか、中国は歴史上争いや喧嘩は絶えないです。それのせいか中国には沢山の武術が存在します。わたくしの故郷である上海の各公園では時折、見たことのない拳法を目の当たりにします。そして、何故か人々は昔から強い拳法を探す風習がありますね。色々な武侠小説ではいつも最強の武術、拳法に廻って物語が展開します。私の兄弟子である香港小説家の金庸氏が書かれた人物の中で、最強の武道家が更に強い武術を探し求め、到頭、重い分裂病になってしまった箇所がまるで漫才の世界ですよ。私が中学校の頃は中国の改革開放ははじまり、日本国の連ドラも次々と中国のテレビに現れます。かなり印象深いのは《姿三四郎》でした。学校では生徒さん達が柔道の動作を真似して数回骨折したことがあります。その次は中国の国産映画《少林寺》の大ブームでした。改革開放当初、若者の間で流行していた長髪があっと言う間に坊主頭に生まれ変わったのです。そして、少林拳法の真似をすると今度は内臓破裂の大惨事です!(棒でやったらしい)加害者は少年院行きでした。
上海見たいな大都会の場合は武術の学校やクラブ、各公園で有名な武術の先生もわりと低料金で所謂功夫を教えてくれます。人間は物質で満足していれば、おのずと冷静さを取り戻します。でも、武術が簡単に学べるからと言って人間の貪欲がこれで満たされることはありません。1970年代後半から1980年代前半にかけて、多くの武術ファンは名の通った武術先生の門を叩いていました。まるで師匠が強ければ自分も強いようですね!そしてそして、到頭、多くの若者が夜の一杯の時間でどの武術が一番強いだろうかと議論しはじめたのであります。中国では「天下の功夫は少林より」との云い回しがありますが、少林拳法が天適がいるとしたら太極拳のみであることはこれから中国で定義付けされていました。その後、太極拳は「一番」強いだと・・・。一時、太極拳が流行語にまで発展していました。勿論、太極拳大師達は多くの人に狙われていました。私の知っている先生では、王西安師(陳式太極拳)、フ鐘文師(楊式太極拳)、馬岳梁師と呉英華師(呉式太極拳)の四人が一番人気がありました。そしてそして、次は太極拳の中でもどれが一番強い技か?何とか一番凄い拳法を身に付けたいねと、気持ちはどんどん、膨らんでいきます。残念ながら、私が練習している流派の呉式太極拳では四セットの《爛采花》という太極拳の攻撃技があり、当時では中国一強い技に選ばれてしまい、馬師と呉師のご自宅には毎日のように弟子入り希望者が絶えませんでした。呉英華師は弟子入り希望者に最初の三年間に呉式太極拳を3万回練習してくれれば誰でも弟子にしてあげますよと、言ったら皆帰っていきます。そして、悪い噂も飛び舞っていきました。あの呉式夫婦は保守的だとか、ケチだとか・・・。4種類の《爛采花》は微妙な力加減が分からない方が使うと相手にお怪我を負わせることは言う迄もなく、下手すると命が危うくなることもありうる為、長い間、呉式太極拳の修練者でないと通常は教えないという呉家の規則があります。これで《爛采花》は一層、神秘的な伝説に仕立てられていきました。
でも、強い武術は決して相手を殺したり、怪我したりするようなものではありません。相手を退いても、ほんの少しでも相手が土を着いたり、体が痛んだり、足が捻挫したりすることがない武道家が本当に一番強いではないでしょうか?
昨今、中国人の多くが暇でネットでいろいろなゲームを楽しむようになったそうです。そしてそして、誰かのもの好きなやつが歴代武術小説の中で誰が一番強いか(4千年の歴史の中で!!!)を投票で決めようと呼びかけたそうです。結果も出たようですが、太極拳創始者張三豊でした。(笑)