幸い、日本という国は中国と同じく多量の漢字を用いられるので、漢字のニュアンスが皆様にとっては大きな問題になりません。弟子と学生の区別をドイツ人に説明をする時は大変でしたね。
簡単に申し上げると弟子が一般的に伝統文化や伝統武道に於いて入門するということになりますが、学生とは一般的に学校や教室で基本形の学問を学ぶことになります。勿論、多くの太極拳教室も先生と学生という形で教学を行います。
中国伝統武道では師匠と弟子の関係が様々で地域によっても大分違います。近代では師匠に一月いくらか謝礼をしますが、その額も差が激しいです。一般的は弟子入りの時には師匠以外の同門もお祝いに駆け付けては先祖を拝みますが、一杯奢るのは当たり前です。でも、例外な場合もありますが、師呉英華、馬岳梁は弟子らより殆ど授業料を取っていませんでした。理由はお金を貰うと教学が緩くなることを恐れていたそうです。
もう少し古い時代では、武道の専門家は大半が道士や僧侶で占められていました。それに因んで山へ修行しに行くという表現も使われていましたが、お金をどれ程包んで行くのかは定かではありません。道士や僧侶はあまり一度に沢山の弟子を取らない為、学ぶ側はお寺や道館で働きながら武道を学んでいたとの言い伝えが多いです。恐らく、古代人の考えでは武道というすばらしいものを売買することわけにはいかないし、純粋な人間関係を築いた上での伝授がもっとも望ましいであることが想像出来ます。
古代の師匠も現代人と違って、自分の武道的実力をかなりの高いレベル迄修行出来ていないとなかなか、お弟子さんを取らなかったのです。一生には4~5人の例もあります。最初のお弟子さんは「開山門弟子」と言い、最後の弟子は「関山門弟子」と言います。「開山門弟子」と「関山門弟子」は時々、年齢さが親子程離れている場合もあり、把握している拳法の差も激しいです。勿論、修行は年数がすべてではありませんが、長い間コツコツ勉強しているものは損はしませんね。
当流派馬岳梁師の「開山門弟子」は恐らく、斐祖陰氏になりますが、師馬岳梁よりも先に他界しました。
弟子と学生
2013年6月20日