道教文化は元々かなり豊かであり、著書も巨大作ばっかりですが、私も実際に教えている方々にはいつも色々な方法で長い文書を渡しています。今日迄は例えば「太極陰陽顛倒解」、「太極十三勢解」など、どれも長くて長文でしたね。でも、自分が接していた数人の巨匠はいずれも学生や弟子に理屈を求めるなと厳しく教えていました。私も弟子ですので先生の説明や解釈などが上手く理解出来ない時もついつい「先生、これは何故ですか」と聞いてしまいますが、勿論、自分も答えが頂けなかったことが数回もありましたね。師呉英華、馬岳梁は優しい人間で流石に「聞くな」とは言わずにいたのですが、なんとなくお茶を濁すような感じでしたね。当時の若い自分も、ああ、師匠は保守的だなと勘違いしましたよ。でも、自分がある日大昔師匠に伺った話しが理解出来た段階で朗らかになったのが当時、例え師匠が説明しても恐らく自分は理解出来なかったことが判明しました。途端に師匠は優しい人間であったこともわかり、感無量でしたね。
日本人と言う民族はこれがまた素晴らしいと感じております。平成元年頃の日本人は自分にかなりの衝撃を与えてくれましたね。当時は日本語があまり出来なくてレストランの皿洗いをしていましたが、調理師も人間で時々喧嘩するが、オーダーが来てつい先程喧嘩したばっかりの人間から「チャーハン一丁!」と言うと、「はい!」と答えてしっかりと仕事をします。仕事が終了した時点で喧嘩した人間の二人が確かにどこかで一杯飲んだようでしたが、翌日は何もないような仲に戻ったのですね。そして、当時の日本人はあまり理由を聞くこともしませんでした。上司に何かを言われると「分かりました」としか言わないですね。今日になっても私に日本語を教えて下さっている日本語文学の先生が時々、私に対して理由を聞くなとか、屁理屈を言うなとか、わかりましたと言いなさいとか…、確かにこれは私が一人の日本人として足りない部分を校正されているのではないかと思いますね。なので自分も素直にその教えを受け入れております。本当に日本人が仕事の時に特に理由を聞かない人が多く、マニュアールに沿ってやれば大丈夫と言う効率的な行動は社会全体の財産ですよ。時間と労力を節約出来ますし先人の知恵も一二分に引き出せたのでしょうね。
だが、太極拳巨匠達の「わけを聞くな」とは、日本人が仕事時の感覚とは少々違いますね。太極ベテランの推手になると勿論のように力尽くでの押し合いではないですし、実際に勝負の分かれ目は一瞬の間に微妙な力の加減が少しでも間違ってしまった人間が飛ばされます。自分も師匠やかつての強い同門と推手をしていて、あとほんの僅かの差のはずなのに体が宙に浮いてしまったことが何回もありましたね。近頃の私の教室で学生様が時々私と推手をして急に体が浮いてしまう感覚とも全く違って、本当に体が宙に浮いてしまうのです。勿論、自分もわかるのですが先生よりほんの僅かに遅かった…。という感じです。だが、この僅かに差の為に数十年も頑張ったのですがまだこの僅かの差というものが存在しており、上級者の間での僅かの差は例え紙一重であってもかなりの大差になるということは自分も近年になってやっとわかりました。太極拳自体はかなり遅い動きで行われていますし、まして呉式のような推手は人様になるべくして動きを見せないのが基本ですが、そしたら余計に動きが細かくなります。そして、一瞬の間に発生した上級者同士の戦いはまた実に細かく、稲妻のように一瞬の出来事になります。わけが言えませんよね。
太極拳は何故ゆっくり動くのかと、このようなご質問は多く聞かれていますね。そのゆっくりした動きの中に細かい動きがあまり多いので速い動きでは出来ないからですね。推手も同じです。一瞬の間に実に沢山の動きでの「禅問答」のような行き来が発生し一つの細かい動きが問題があれば、推手ですぐに結果として出て来ますね。
結果的には初心者の方がこのような細かい動きが理解出来ませんね。もっと基本拳を練習すればいずれは理解出来るようになりますが、年数がかかります。
太極理屈不要論
2013年12月26日