以前、研究会の学生が投稿した時に面白い中国語表現に触れられました。中国語で太極拳練習すると言う表現を「打太極拳」と言っておりますが、実際に家元では一般的に「練太極」という表現が昔から使って参りました。私は四方山や他の文書の時にその「練太極」という表現を適当に日本語に直し「太極修練」というふうに言い続けていますが、これは実際に自分の太極拳を他の太極拳との差別化をはかることを考えていないですが、仕方がない時にこのような新しい概念を用いて自分の太極拳を説明しています。
まず、私が現在呉式太極拳研究会で教えている時の話しを言及しておきたいですが、私は学生の皆様に対して太極修練時はいかなる場合でも自然呼吸を行うようお願い申し上げています。研究会を立ち上げた頃多くの皆様より呼吸に関するご質問がありました。これは日本人の方々がじつに中国功夫が好きて私の研究会に入る以前も色々な気功や太極拳をやってきた為、私があまり呼吸のことを何も言わないから皆様が心配していたことでした。実際に呼吸に関しては何とも言えないですね。太極拳の初心者の約10年の間にはほぼ自然呼吸のままでよろしいですが、でも、他所では呼吸を止めるとか息をお腹に貯めるとか・・・、時折非解剖学的な話しもしばしば伺ってきましたが、空気が人間の横隔膜の下に迄入っていくことは有り得ないですが・・・、というか横隔膜がもしも穴でも空いてしまったら、その人間は緊急手術ですよ。何もせずにいるとすぐに死んでしまいます・・・。そして、複数の方が気功修練で息を止められたと私に訴え、共通しているポイントは皆様が激やせしておりますね。1m60の女性がみるみるうちに痩せていて43キロになってしまいました・・・。そして、到頭気功教室から離れて中国の太極拳が素晴らしいと伺ったものですので色々な太極拳お探し求めていて私の研究会に辿りついたのですが、私の自然呼吸で現在は体重がかなり戻りましたね。一般的に初心者の太極拳の呼吸は自然呼吸しかありません。(逆に言うと自然呼吸している方は皆初心者です)確かに太極陰陽顛倒解では太極修練時の呼吸法を厳密な決まりがあり、今日のどの流派よりもなん式よりもかなり遅い太極拳の中で開合に合わせて開の時は吐き出して、合の時は吸い込むという風になると今日の殆どの太極拳愛好者は無理でありましょう。(平均で吐きは十数秒、吸い込みが10数秒です)ということで初心者はゆっくりと毎日の様に太極拳を練習して呼吸がかなりゆっくりになった時点で自然に開合に合わせてよいですし、特に開合などを研究していない太極拳であれば自然呼吸のままでなにも問題がないですね。
だが、数年前に私が数回太極手練時に声をかけられて本当に困ったことがありました。私は30数年の歳月をかけてやっとのことで開合に合わせて呼吸をしていますが、当時の私は普通の仕事をしており、数人の太極拳先生の個人レッスン以外は一般お方々とは無縁で時間を作っては自分一人で近くの公園で太極拳を練習します。ところで数回も連続して色々な方に声をかけられてしまい、折角合わせた呼吸が乱れてしまった始末でございました。質問はいつも決まっていますね「これはなに式ですか」と、「呉式」だと応えると、「いいえいいえ、私達連盟でやっている呉式とは違いますね・・・」と、このような大きなお世話でしかも呼吸が乱されてしまい、太極拳の練習も中断をさせられますが、最悪ですね。仕方がなく自分は呼吸に合わせて太極拳をやっているのよと説明しなるべく声をかけないようにお願いしてみましたが、今度は少し離れたところで私が太極拳をやっているのを見てこそこそ議論をしていましたね。「あの人は連盟以外の太極拳だから声をかけると機嫌が悪いみたいと・・・」と、それにしてもじつに大きな雑念ですね。その方々の為に私は何度も公園を探して変えてきています。
あの時から私は一つの新しい概念を考え始めたのです。現在のところは自制日本語で「太極修練」という言葉を使っておりますが、将来的には多くの皆様のご意見をも参考にしながらもっと適切な言葉が見出せば幸いに存じます。「太極拳の練習」と「太極修練」、似たようで中身は全然違うと思いますね。恐らくこれは趣味としての太極拳と自分の為、人の為の太極思想の違いでありましょう。私はまだ日本で本格的に一般の学生を教えてから一年しか立っていませんし、日本には太極拳を一つの思想として教えている先生は他もいるかもしれません。但し、自分は中国または日本で昨今の趣味の太極拳の世界(伝統と制定問わず)に対しては些か違和感を覚えておりますね。
今も時々公園で声をかけられていますが…、「いいえ、これは太極拳ではありません。私が創った健康体操ですよ・・・」と答えています・・・。
太極修練と言う新概念
2013年12月15日