昨今、武道は当たり前のように商売であります。その国の体制に合う者は道場は繁栄して、雑草的な武道が商売には誰も苦労します。また、中国という国とかかわってくると学歴詐称のようなことは日常茶飯事で、でっち上げの大師は世界中ごろごろ状態がつづいております・・・。
中国改革開放が本格的に展開された1980年代の頃、アメリカのマスコミが中国の武道について同じ流派と名乗る「大師」がまるで違う拳法を修練していることで大変驚いたそうです。そして、当時の中国政府に民間の武道家に接してみたいとの要望があって、政府は数人の共産党幹部や政治協商会のメンバーにお願いした次第でございます。師呉英華、馬岳梁は当時、上海市の政治協商会メンバーである為、英語がなんとかなる馬岳梁がインタビューを応じることになったわけです。
筆者は当時、毎日のように師の家に通い太極拳の練習をしていた為、当日はインタビューのかなり近いところで見守っていました。米国人の方はまず、呉式太極拳の「方架」と「円架」について質問されたのですが、当時の馬師は複雑で複数の違う動きを同時にはじめ、同時に終了しなければならない呉式太極拳から説明し、初心者が覚えやすいために一つひとつの動きを機械化して、一個一個の「タントー」を最初に覚えることで「方架」のような型が出来たとのことと、太極拳が最初に欧州へ入った時の説明不足もあり、現在の世界各地で呉式太極拳「方架」の定着に繋いだとの話しをしました。
次に米国人に聴かれたのが先生(馬岳梁)の太極拳が香港と呉式と違うし、北京の呉式とも違うのは何故とのことでした。馬師は確かに「同じ師匠が教えても弟子らはまったく違う人間なので、違う理解をすれば少しずつ太極拳も違ってきます・・・」途中、馬師の英単語の為に筆者が呼ばれ単語だけを師に教えていました。
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鄭曼青さんの話しも聴かれました。鄭曼青さんは当時、アメリカでは大変有名で多くのお弟子に遵われていました。米国記者の質問はこうでした「鄭曼青先生はご存じですか」、馬「よく知っています」「貴方の推手と鄭曼青先生の推手はどちらが強いですか」馬「鄭曼青さんの太極拳は本物の楊式太極拳です。推手も見たことがあります。」
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最後に馬師の太極拳について聴かれていました。「先生(馬岳梁)の太極拳は呉鑑泉師の太極拳と同じですか、それとも、違ってきているのでしょうか」
馬師の答えはこうでした。「私の太極拳は基本的に呉鑑泉師の太極拳と同じですが、ただし、もしも違いがあるとすると、私の体つきが呉鑑泉と違うので太極拳も微妙に違うふうに見えてしまう可能性はあります。」
ところで本日の写真の人物は恐らく、皆様はご存じでしょう。彼女は大変優しい人間でした。私は彼女に長い間師事していましたが、彼女が大きい声を出して怒ったことはたった一度しかありませんでした。
当時の中国は出版社の知り合いがいなければなかなか書物の出版が出来ないでしたが、同門の一人はものような人脈があり彼は自分で沢山の太極拳や剣、槍、刀の本を編集して、最後の最後で馬と呉に原稿を見せ、連名での出版をお願いされましたが、あまりにも間違いが多いので修正するよう命じられたのです。だが、出版期限に迫った同門が修正命令を無視し慌てて出版してしまったので、呉英華がかなり怒ったわけでした。でも、半年後、呉はその弟子を許し自ら太極拳基本拳の修正を手伝った次第であります。隠れたところで私には例の同門の本を読まないようにと・・・。
呉と馬の二人は上海市の政治協商会の給料で暮らしていましたが、我々弟子からははっきり申し上げますと殆んど取っていませんでした。
あの二人は出来る限り、太極拳というものを商売にしたくなかったのです。
太極拳は商売ではなく、太極拳は行き方ですし、太極拳は人との善き接し方であります。