江豹とはどちかというと太極拳以外のお付き合いが長いですね。私の家は馬家とは目と鼻先でした。江豹は私の4人の叔父と叔母の仲間です。今でも叔母に電話する時に江豹の話しをすると彼のニックネームが出てきます。はっきり申し上げますと師匠の子供達とは同じ世代ではないです。私の曽祖母が亡くなった時に江豹、江麟がお葬式の手伝いをしてくれたほど、長い間両家は親交がありました。
私が上海という故郷に戻るとほぼ同時期に江豹がドイツに渡り、呉式太極拳の師範となりました。私が江豹についてはもう一人の兄弟子の周展芳氏と公園で呉式太極拳を練習していたお年寄り達よりいろいろと伺っております。自分が幼いころから一緒に遊んでくれたりしていた江豹とはまったく違う一面があってびっくりしていました。
馬江豹、周展芳、周利民の三人の兄弟子はもともと、アマチュアボクシングの仲間でした。ある日、公園で遊んでいたら、江豹は呉式太極拳を練習しているのを発見し二人の仲間にこう言った「うちの親父の弟子の弟子が教えた拳法だ、まるで鬼と遊んでいるね。」当時の江豹は太極拳にまったく興味がなく、太極拳の真の強さも分かっていなかったのいです。そして、彼はボクシングで鍛えられた強いパワーを試したくて推手をしている二人の老人に交流を申し込んだのです。二人の老人は江豹の顔を見て驚き、馬岳梁大師の倅であることを知っていました。たちまち頭を下がり、大先生、大先生と、我々のようなものと交流されるのですか?でも、彼らはよくわかっていなかったのですが、当時の江豹は推手なんかやっていませんでした。割合に強い老人が推手に応じたのですが、江豹は一発で飛ばされていました。江豹はたちまち、顔が赤くなり、太極拳を馬鹿にしていた自分を悔やんでいました。最も驚いたのは横にいる二人の江豹の仲間です。彼らは太極拳の神秘的な強さに惚れ、後に馬岳梁の弟子となり、現在は中国の太極拳大師と呼ばれております。特に周展芳氏は呉式太極拳のみならず、中国武道界のトップ人物と言っても決して過言ではありません。
江豹は家に戻って父である馬岳梁大師に懺悔し太極拳を教えてくれないかと切に願ったのです。その後は多くの太極拳愛好者の皆様のご承知の通り、太極拳大師馬江豹の誕生でございますが、でも、考えてみると江豹は太極拳を練習して、そんなに時間が立っていないうちにすぐに上達していましたね。長時間に渡り、馬岳梁大師と共に練習出来ることは大きいですが、彼自分の努力と彼の信念がものを語っていると存じます。
呉式太極拳研究会師範 沈剛