心配症の人間は命が縮むとよく言われていますが、気付いたら自分もそうかもしれません。性格的に看過出来ないせいか自分はいつもの間に色々なことで心配に陥っていることが多いです。最近では、私はこれで短命になるのではないかと、また一つ心配事が増えて心配と心配が重なるようになり、自分の無能さえ再認識しているところでございます。
太極拳修練者ですので当然のように太極拳に纏わる色々な心配事がありますが、中にもどうしょうもない所謂余計な心配も沢山あります。結果的にどうしょうもないということは、誰も真剣に取り込まないことで数人の力ではなんともならないことの延長線上のことが最近、自覚しております。ならば、少人数で心配したりして体を壊すことも当然、心配の心配になってきますし、ああ、悪循環ですね。
心配事は呉式太極拳家元の五代目弟子、六代目弟子の実力です。推手なんかかなり弱くなってきましたね。四代目弟子でも、五代目弟子とあまり代らない実力のものがいたりしていますが、練習しないと師もなかなか教えられないのが太極拳です。私は一般の師匠と逆のことを考えていますが、成るべく先へ先へと教えてしまうことによって学生の興味を引き起こし、割合に詰まらない太極拳修練を面白いに変えていきます。勿論、これはリスクも背負うことになります。教える量が増える一方で学生が耐え切れなくなったら太極拳をやめてしまうこともありますね。
何事、バランスが大事です。そして余計な心配をしている時間もないですね。
余計な心配、余計ではない心配
2013年10月23日