このテーマーについて数人の仲間がもしかして四方山のネタ切れの繋ぎではないかと推測しておりますが、間違いなく四方山で書く適切なネタは結構難しいです。関東の方々のお好みにでも合わせたら関西では炎上したりしておりますね。小さい日本でさえ地域によって人の性格がこのように大差があるとは今日はじめて知ったことではありませんが、日本国内でも言葉が殆ど通じない程に地域さがあることは広大な中国でのかつてからの複雑な人間関係は実に苦労しました。師呉英華、馬岳梁は八旗弟子の独特な気質もあってあまり背後でこそこそを言う人に対してはいつもはっきりした態度で応対していましたね。「太極拳に興味がなければ我々と拘ならなくてもよい・・・」とけっぱりでした。当時では両師は特に太極拳で生活をしているわけではなかった為、商売人のような理不尽な複雑な人間関係をせずにいられました。今から見てみると実に羨ましい限りですね。勿論、両師も人間ですので悩みがまったくないことは有り得ないですが、大きな器でもってこの浮世のすべてを包み込める程の包容力が人並みではないことが今日になってわたったような気がします。これこそ巨匠ですね。
私はというと長い間に殆ど自分自身の太極修練と数人のプロ仲間のお助けしてしていない為、日本の武道会のすべてもはっきり解らないような者に過ぎません。心の内はあまり大きな器を備わっていない為、複雑な人間関係では太極修練に悪い影響が出ることがずっと懸念していました。私は先日、一般の学生クラスの皆様との忘年会で事項紹介を要請されましたが、自分のすべてはもう皆様によく知られているとのことで、自分の人間的弱点を話しました。その中の一条は気が弱いことでございます。言い換えれば人間力が足りないとのことですね。これは自分も素直に認めており、生涯をかけて人間的実力をアップしていくことも自分なりに努力しておりますが、以前努めていた大手カメラ会社の上司に言わせれば、お前は何時までのそのそと人間力をアップしているのだろうかと、やはり社会では今すぐ結果を残さなければならないという鉄則がありますね。ならば器の小さい者は短期間に器を大きくしなければならないことで悩んだり、または器を無理して大きくしようと頑張った結果器が敗れたりしてきましたね。そして、可哀想に世界中に分裂病患者や鬱病患者が年々増え続けています。今年の初頭に研究会で一般の生徒さんを公募し始めたのですが皮肉にも一人目の希望者は鬱病と方でした・・・。特別にお茶以外に交通費も渡して丁重に断りましたね・・・。
わたくしの研究会では、老子の道教思想に従い無理して短期間に太極技を習得させたり、体力とその他の限界を超えるような厳しい練習は避けていますが、でも、これははっきり言って首都圏で連盟と個人を含む約四千の太極拳教室が大競争の中ではかなりマイナス的な考えでございますね。時間をかけてしまうとすぐ習得できないや保守的であまり教えていないとの悪いイメージも付いてしまいます。何でもスピーディーで勝負をする世界では太極というゆったりしたものに改革を入れることも大いに理解致します。短い太極拳ですぐ身に付くということも商売法では実に賢いと最近になって分かってきました。近代社会では人々は例え時間的な余裕があっても普段のお仕事で毎日のように慌ただしい人生で慣れていれば、趣味や余暇も余裕を持ってゆっくりと享受出来る習慣がもはやありません。人間力のアップもあまり時間が与えられていないですから・・・。
これでも、自分を含む多くの人間が日本は住み易い国であると考えております。勿論、住み慣れていることもあろうと思いますが、先述の忙しさということも様々な複雑な人間関係をかなり簡単化にしていますね。日本社会がマニュアールがなければ社会全体が動かないとも言われている今日、実に色々なことを悩んでいる暇もないのが現実です。日本人としては人間力が不完全のままでも強く逞しくぶるかりながらやって行くしかないですし、あまりの忙しさで人間関係を考える余裕もありませんね。
でも、私はゆったりした教室をやってみたいと思います。楽しい教室を・・・・・・。
人間(第八章)
2013年12月10日