日本が中国の「中秋の明月」を祝う頃はおそらくかなり昔の話しですが、現在のところ、世界中に旧暦を使う国はおそらく、残り中国だけではないかと思います。中国の中秋節は家族団欒の日であり、亡くなった親族を思い出すことも多いです。
中秋節で呉英華師と馬岳梁師との思い出も並ならぬものです。今になって神となった二人を思うといつまでも弟子を取らないことで続けてきましたが、近頃、ご縁があってわたくしも弟子に恵まれることになりました。面白いように弟子を取ることが決めた晩、あの二人の師が夢の中から出て来ましたよ。わたくしはかつてのように夢の中で馬岳梁師と一生懸命推手をしていましたね。馬師は以前よりももっと軽くなった気がしていて自分は以前と変わらぬ馬の前には弱かったの夢は随分長かったです。やがて、呉英華師が私が大好きな小豆スープを持てきて、昔と変わらない笑顔でした・・・。朝になって起きてみたらかなりの汗でパジャマーが結構濡れていました。このよな夢を毎日みたいものですね。師と本当に推手したような気がしますが、二人の師も私が師になることを心より喜んでくださったことに違いがないです。
この中秋の明月の日に、いなくなった親友や家族、師への思いは中国人の伝統的な祭りになったのがいつの時代からでしょうか。中国古代詩人の皆は一輪の明月にすべての思いをぶつける者が非常に多いですが、最も有名なのはおそらく中国北宋詩人苏轼の水调歌頭になります。
明月几时有?把酒问青天。不知天上宫阙,今夕是何年?我欲乘风归去,又恐琼楼玉宇,高处不胜寒。起舞弄清影,何似在人间。
转朱阁,低绮户,照无眠。不应有恨,何事长向别时圆?人有悲欢?偕合,月有阴晴圆缺,此事古难全。但愿人长久,千里共婵娟。
漢文の強い方でしたらこれを見ると興奮しますよね。これは1076年当たりに人間模様を描いている詩ですが、近代人が詠んでいてもピント来ないものが多いでしょう。当時は誰でも天の国を信じていたらしいですね。人生が数十年という短い期間では悲しい過ぎるから永遠の命が欲しいわけです。でも、途中になってやはりこの世に方が温かみを感じる句が来ていますね。だが、これは一瞬の温かみであって直ぐに消えてしまうだろうと詩人は天上から浮世まで、そして人間哲学的に締めくくったのです。
1989年4月10日の夜、即ち私が来日の前日でした。最後に馬岳梁と推手をして、別れの挨拶をした後に、馬はこの水调歌頭を悲しそうに詠んでいました。呉英華は涙を拭いていました。その時、両師は太極拳の太の字も言及しませんでした。日本で気をつけてね、疲れたら太極拳の気功でもやってください。煙草はほどほどにね・・・。あの二人はいつも太極拳の話題や昔の太極拳話ばっかりでしたが、その時の呉英華、馬岳梁は実に人間味たっぷりでした。
明月几时有?把酒问青天。不知天上宫阙,今夕是何年?
中秋節
2013年9月19日