元々、太極拳というものは採点にかけることがなく、古代中国の養生術の一種で哲学的に人体を分析により良く体内バランスを保つことが目的で、一人ひとりが違った太極拳が許されるべきとの発想自体もかなり古典哲学的との評価を受けています。だが、各家で太極拳を管理していても結果的に太極拳を教えて生計を立てることで、金銭面と伝授との間の様々な葛藤により、本当の意味で「博大精深」の太極拳はいくつの世代を過ぎてきて各家に残されてきた太極財産は減る一方で、数百年後それこそ伝統太極拳が絶滅することもありゆるでしょうね。そうなると世界には前の世紀の1950年代にデビューした簡化太極拳や後の競技太極拳は唯一の太極拳になることも私は大分昔から予測しています。というよりも現在の五つの流派はおそらく名前迄はいつの時代になっても残りますね。残るどころかおそらく太極拳の流派は増える一方です。昨今の世界中のネットをみれば太極拳東西南北派閥から龍、虎、蛇、鰻、豚、牛とありとあらゆる研究会が広がっています。かつての五大流派より飛び出した人間は一人で一つの流派を立ち上げた者もいましたね。そして、残念ながら太極拳の実力はこの数百年の間かなり下がっており、簡化や競技種目と似たないようになる日がくることもそう遠くないでしょうね。そうなった途端では伝統太極拳の最期でございますね。
ならば私はこう考えたのです。伝統太極拳はいずれにせよ、今日の競技種目に一種になってしまうのでしょうから今から競技種目をもう少し充実させてもよろしいのではないでしょうか。それならまた少しでも太極拳の実力が上がることでありましょうね。先日はじめて学生より拝見させて頂いた競技種目の採点方法で確認出来たのが、実は日本国も競技太極拳では足を蹴る時にも骨盤より低いと減点で、軸足が曲がり過ぎると減点になる程度のことででした。ようはある程度の曲げを事実上に認めていますね。この若干の曲げですが人々の膝を守ってくれるはずだと、道教の太極理論では言っております。そして、減点しないと一般の方々にとっては大きな福音ですね。日本の太極拳人口はおよそ四百万人と言われており、その九割位が競技種目です。そして、競技種目となると区大会や県大会もあり、発表の場ではある程度競い合うことになってしまいます。採点ですね。減点にならない位の太極拳なら足の膝のお怪我もほぼ皆無でしょうね。と先日嬉しく感じました。競技種目のプロの方が軸足を伸ばしてそれで加点になればそれでよいです。だって、皆様はいつか太極拳が五輪種目になる可能性はいつでも残っていますので、プロスポーツ選手は膝の手術を何回しても当たり前ですよね。野球選手やサッカー選手も結構体にメスを入れています。一般の方は減点されない程度で十分でありましょうね。勿論、私は採点に関しては大賛成ですよ。私達も幼少期から師匠より何年もかけて慢架の108式を直されていましたので、採点制度があって、大会の為には日々足を曲げすぎない程度での練習は健康そのものです。当研究会も同じことを一般の方にお願いしております。逆に申し上げると軸足をかなり曲げて片足を上げると実はかなり何度が高いですよ。
ルールは伝統も競技もなくてはならないものです。競技の大会でも伝統種目との項目があり、勿論、伝統太極拳では採点方法がない為、競技採点の基本に準ずるしかありません。でも、安心しましたね。折角、学生の方々が伝統種目を区大会や全国大会で披露したいのに、伝統の暗黙のルールが競技の採点方法と大きな差があるのならば、めちゃくちゃ減点されて名目がないですね。今後も多くの伝統種目が全国大会で披露出来ることを心より願っています。勿論、五輪種目となるとしっかりした採点法や時間の短縮が出来ない限り、伝統太極拳慢架のような種目は世界進出は無理でしょう。だが、伝統ものは採点がないものが多いですね。太極拳とは限らず、日本のお能や歌舞伎、それに合気道や他の伝統武術も世界進出を狙っていない限り採点方法を考えることもなかなかないです。
大昔の教育もしっかりした採点制度が今日ほど厳しくなかったようですね。近代社会は何でも点数を付けることでこれに対して評価しやすくなったことはまさに競争社会の一つの特徴ではないかと感じております。そして点数をつけて貰っているものは本物で点数の付けようがないものは偽物と、これは近代化社会のルールで仕方がないことです。そして、世界の中でも有名な減点主義である日本国ですが、点数のつけようがない伝統項目にはしっかりと様々な財団がバックアップするようになっていますね。伝統太極拳と言う外来伝統項目が一日でも良きスポンサーに恵まれることを切に願っています。
ルールと採点
2014年2月26日