今月、中国のとある強い女性武道家が叩かれ、破門となった。彼女は人に
触れずに手を動かせば、相手が飛ばされてしまう。私もかつて、中国に住んで
いた頃はにたような人間を沢山見てきた。自分の師匠の馬岳梁師は確かに
人を触れずにでも彼の近くにいるとなんとなく重心が不安定になる。但し、
馬師は一日中、起きている間は殆ど太極拳の練習をする習慣があって、毎朝
5時には必ず起きる。勿論、例え馬師であっても信じない人が殆どだった。
自分も最初は信じて上げられなかった。多くの挑戦者が現れて負けては帰る。
ところで昨今の世界では武道大師や強い気功家が沢山現れたね。何故でしょうか。
人々は日々の仕事で疲れ、世に起きているいろいろな出来事に無関心になり、
世には当然のように様々な人間模様が現れる。
中国ではかつて、かなり「強い」気功家で上海で気を出していたらアメリカの患者さん
に届いたとか・・・。あの人の気が曲がるもののようだ。現在は彼がどこにいるのかは
誰も分からない。
でも、老子はこの様に考えていた「弱い人間は強く、柔らかいものがきっと硬いもの
に勝つ」一見、矛盾しているよね。私の認識はこうだ、恐らく、老子の言葉の中の
深い哲学はこうだ。弱いものというのは謙るものというふうに認識したほうが、いい
かもしれない。太極拳はその元となっている道教哲学と同じく、完璧になる日は
ない。毎日、絶えず絶えず練習するものだけが少し完璧に近付いていることは
間違いないだろう。